洋書と英語の日々


日本人と英語の奇妙な関係


英語に限らず、どんな言語でも学ぶことは難しいと思いますが、英語の難しさはちょっと違うところにあるのかな?と思います。

最近ラテン語を復習し始めて、つくづく思いました。

英語とラテン語、どっちが難しいか、といったら、究極的には同じでしょうけど、ラテン語のほうが "勉強すること自体" はやさしいと思います。

その理由。

まず第一。
「話す・聞く・書く」必要性がない(個人的には)。

第二。
参考書の数が少ない。
つまり、どう(何で)勉強すればいいか、悩むことがない。

英語の勉強法、百家争鳴

自分も「英語の勉強法」について書いているので人のことは言えないのですけど。

英語はこう勉強すべき、との主張は百家争鳴状態。
How to 本もあれば、ネット上にもたくさんある。

「百家争鳴(ひゃっかそうめい)」とはもともと、中国共産党のスローガンで、自由に論争すべし、ということですが、本家本元のほうは「その実・・・」なのに対し、英語の勉強法については、まさに百家争鳴。

そして、困るのは、それぞれの主張に一理があること。

コミュニケーションが大事だ、と言われれば、「確かに」と言うしかない。

いやいや、中身のないことを話しても意味がない、と言われれば、同じく「確かに」としか答えられない。

難しい本を読んでいても、それについて一言もしゃべれないじゃないか、と言われたら、こうべを垂れるしかない。

百家争鳴の主張をすべて満たすとすれば、とんでもなく高いレベルになってしまう。

目標、たとえば英語を使った仕事がしたい、TOEIC で高得点を取りたい、などがあれば迷いは少ないかもしれません。
自分は目標がなかったので、好き勝手に勉強してますけど。

まあ、どんなふうに勉強を始めても、長く続ければ結局は自分に合ったものを見つけるのでしょうが、最初は悩むでしょうね。
どんなふうに勉強したらいいか。

参考書の群雄割拠

その悩む大きな原因が、書店に並ぶ英語学習本の多さ。
魅力的なタイトル、キャッチフレーズ(catch line, buzzword)に、思わず手が伸びる。

そして、本棚には "買って三日後には二度と開かれることがない本" がまた一つ増えることになる。

当ブログでも参考書を紹介することがありますが、ほめるばかりでなく、なるべく何かケチをつけることにしています。

自分が紹介し、それに釣られ(?)買ったものの、「買って損した・・・」となるのを想像すると、ちょっと気が引けますから。

買っては失敗、買っては失敗の繰り返しで、そのうち自分に合った参考書に出会うかもしれません。
ある意味、英語の勉強には、金に糸目をつけてはいけないところがある。

日本人の英語は、金のなる木?

英語のプロはともかく、自分も含め、たいていの英語学習者の知識は不十分。

それで、「これを英語で言えますか?」や「その英語、ネイティヴにはこう聞こえます」といった本が大量生産される。

こういう本がよく売れるのは、日本人には「間違ってはいけない」という英語恐怖症があるからでしょう。

マーク・ピーターセンさんの『日本人の英語』(岩波新書)がベストセラーかつロングセラーになって以来、間違い指摘本が雨後のタケノコのように毎月毎月発売されています。
(その元祖は 1961年の岩田一男(著)『英語に強くなる本』かもしれませんが)

今や「日本人の英語」はマーク・ピーターセン(著)という固有名詞ではなく、普通名詞になった感じ。

昔から、日本人が習う英語は重箱の隅をほじくり過ぎ、と言われていたようですが、"金のなる木" である「日本人の英語」の間違い探し、いま本屋に並んでいるものの中には「重箱の隅をなめる」感じのものもある。

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