信仰心のまったくない自分が書くのは、ちょっとあれですが。
しかし、信仰心がないからこそ、旧約聖書が求める「信仰」にびっくり。
そのことを、「創世記(Genesis)」の挿話、
息子イサクを神に捧げるアブラハム
を読んで考えてみたいと思います。
※今回も、参照する聖書は、1611年に公にされた、ジェームズ一世の『欽定英訳聖書』(The Authorized Version)を使用します。
訳は自分でしましたが、かなり意訳したり、直訳したりしました。
誤訳もあるかもしれません。(たぶんある)
見つけたら、ご指摘のほどを。
さて。
まずは、簡単なアブラハム(Abraham)の家族。

アブラム(Abram)と、妻のサライ(Sa'rai)。
二人は神の言葉に従い、のちにアブラハム(Abraham)、サラ(Sarah)と改名します。
ややこしいので、旧約聖書からの引用の訳文以外では、アブラム時代のアブラハムも、「アブラハム」とします。(サラも同様)
さて、そんなアブラハム夫妻ですが、子供ができませんでした。
But Sa'rah was barren; she had no child.
−「Genesis」 chapter11.30サラは子を産めない体であったので、子供がいなかった。
−「創世記」十一章・三十
アブラハムも後継者がいないことを気にしている。
幻の中での、アブラハムと神の対話。
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