洋書と英語の日々


翻訳って


外国の本を原文で読むのと、翻訳で読むの、どちらが多いでしょうか?

自分は圧倒的に翻訳で読むほうが多いです。

「洋書と英語の日々」なんていうブログをしていながら。

それは、苦労はするが、なんとか原書で読める外国語は(ほぼ)英語だけ、という簡単な理由。とはいっても、科学関係などの原書は逆立ちしたって読めませんけど。

そのほかの言語で書かれた本は、翻訳で読むしか選択の余地がありません。まあ、選択の余地があるとすれば、読むか、読まぬか、だけ。

で、今回は翻訳のはなし。

翻訳とは、結局...

以前、ジェーン・オースティン(Jane Austen)の「Pride And Prejudice」の翻訳比べをしたとき、こう書きました。

翻訳は、

結局は日本語の問題

かな、と。

柳瀬尚紀(著)「翻訳はいかにすべきか」を読んでいたら、こう書いてありました。

要するに、翻訳は日本語の問題である。結局は、それに尽きる。

明らかに、酷似しています・・・

「翻訳はいかにすべきか」は何年か前に何度も読んだので、頭の中に染み込んでいたのでしょう。

よって、訂正します。

翻訳は、

結局は日本語の問題

かな、と。©柳瀬尚紀さん

まあ、こういうことは有名な翻訳者の方々はみなさんおっしゃっているんですけどね。でも、なにはともあれ、©柳瀬尚紀さん

さて、本題。翻訳について。

その前に、ちょっと哲学用語の話を。

なるべく、引用された言葉についてのようにはならないように、ちゃんと書きます...

パロール

哲学の本を少しでも読んだことがある人には「パロール」という言葉はおなじみでしょう。

もとはフランス語(parole)で、「言葉」とか「約束」という意味です。

スイスの言語学者、フェルディナン・ド・ソシュール(1857〜1913)が、その言葉にちょっと哲学的な意味を吹き込みました。

といっても、ソシュールのいうパロールとは、音(音素)のこと。

それが徐々に意味を広げていき、パロールというといろいろな意味で使われるようになってきました。

OED(Oxford English Dictionary オックスフォード英語辞典)の parole の定義は、

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