2011年4月 1日 Posted by まさんた
江利川春雄『受験英語と日本人』~受験英語が果たしてきた歴史
江利川春雄『受験英語と日本人』を読了。
レビューするには3回読んでから、と決めているので、今回はこの書籍の本題、"受験英語の歴史" 以外のことをサラッと書きます。
サラッと、いつものごとく、長文で。
"英文解釈法" という業績
著者の江利川氏は英語教育学、英語教育史を研究されています。
一方、自分は単なる普通の英語学習者。
ですが、当ブログで引用したり、紹介したことが、『受験英語と日本人』でも引用されていたりして、なんだかちょっと嬉しく。
たとえば。
画期的な英文解釈法
「わが国の英語英文学界の誇るべき業績の一つに英文解釈法の確立がある」。外山滋比古はそう言い切っている(『新・学問のすすめ』 137頁)。
― 『受験英語と日本人』 78頁
※ 当ブログで引用した記事 - 英語を読む、メガネ。
余談ですが。
外山さんは、「英文解釈法」について、次のようなことを書かれています。
いままで英文解釈法で考えてきたのは、センテンス内の英文解釈の技術である。
それは返り点こそつけないが、漢文の訓読とおおむね同じことをしているわけになる。
語順を適当に入れ替え、されに必要に応じて、テニオハを送るやり方である。
センテンスの中における、語と語の関係や順序などが問題のすべてであるならば、この方法で足りる。
しかし、これだと、センテンスとセンテンスのつながり方はまったくなおざりにされる。
いくつも文が並んでいたら、はじめから順次それを訳してゆけばよいのではないかというのは、従来の英文解釈がとっていた前提である。
それ以上、文と文の関係については考えようともしなかったらしく思われる。
これには一つには、文法がやはり、センテンスを最大の単位としていることも関係している。
文法はいまのところ、センテンスを越える単位の問題にたいしてほとんど無力である。
― 『新・学問のすすめ』 143~144頁
外山さんがおっしゃていることは、今流行の「パラグラフ・リーディング」のことではなでしょう。
外国語の学術書の翻訳がじつにわかりにくく、原文よりもいっそう難解だということがしばしばあるが、その原因の一つに日本語としての不自然な文順ということがあるのではないかと思われる。
― 『同書』 145頁
ちなみに、伊藤和夫は『テーマ別 英文読解講座』(1994年)の「まえがき」で、「パラグラフ・リーディング」に対し、こう警告している。
入試問題の長文化に伴い、速読の必要性が説かれることも多くなっている。
しかし、一文一文の正確な理解をおろそかにしたままで、キーセンテンスだのパラグラフ・リーディングだのと言ったところで、砂上の楼閣に等しい。
もちろん、ペーパーバックを読んでいて、ストーリーに引き込まれ、わからないところがあっても読み進めてしまう、ということはあります。
ですけど、受験生もその態度で英文を読むのは良いことなのか?
今の受験に出る英文で、内容に引き込まれることなんて滅多にないでしょうし。
それはともかく。
またまた外山さんの言葉。
第三の英文解釈法の出現が待望されるのは、こういう言語空間(※ センテンスとセンテンスの間にある言語空間)の解釈を含むものがほしいということである。
手取り早く言うならば、従来の解釈法プラス、レトリックというものになるだろう。
― 『同書』 149頁、(※)内、管理人。
その「第三の英文解釈法」について、
第三の英文解釈法が真剣に求められているのに、その要請に耳をかさず、すでに十数年が経っている。
最近やっと、いくらか新しい方向を示すものが、あらわれだしたにすぎない。
― 『同書』 143頁
「第三の英文解釈法」が「あらわれだした」という。
それがどの参考書なのか、長年疑問に思っていました。
『受験英語と日本人』によると、
・・・こうした欠陥(※ パラグラフやレトリックに対する配慮の欠如)は佐々木高政の『英文解釈考』(金子書房、1978)の登場によって大幅に改善されたと外山は述べている。
― 198頁、(※)は管理人による。
しかし。
『新・学問のすすめ』、文庫になる前のタイトルは『葦のずいから』で、出版されたのは昭和四十五年(1970)。
佐々木高政の『英文解釈考』は 1978年。
となると・・・。
外山さんが『葦のずいから』で書いた、"あらわれだした" 「第三の英文解釈法」とは、どの参考書?
まあ、いいや。
ついでなので、佐々木高政『英文解釈考』について。
「解釈」から「鑑賞」へ
『英文解釈考』、1980年に改訂され、『新訂 英文解釈法』となりました。
受験生向けの参考書ではありません。
でも自分にとっては思い入れが強い参考書でして。
なぜなら、(・・・長くなるので、略・・・)というわけで。
佐々木の文について、『受験英語と日本人』ではこう書かれている。
佐々木高政は語り(ナラティブ)の名手だから、本文が面白い。独特の語りの魅力は、たとえば名著『英文解釈法』(金子書房、1980)の序文などでは「感動」の域に達する。
― 240頁
『新訂 英文解釈考』の「はしがき」はこう始まる。
どうしても書かずには気がすまなかったというのが本音である。
格好の材料が目の前に鎮座ましましていたから、その昔、まだ学校で英語を勉強させてもらっていた頃、申訳けない話だが授業の方は少々なおざりにして自分の好みにまかせて英語の本を次々と息もつかず読み耽っているうち、こうして本を読破して行くこと自体は愉快だがどうもこのままでは何だか頼りないと感じ出し、ノートをとることを始めたのであった。
そして、「はしがき」は次の言葉で終わる。
持って帰る品物を旅行カバンにきちんとつめることにしよう。
初めて『英文解釈考』を本屋で手に取ったとき、この「はしがき」を読んで、いつの間にか、足はレジへ。
そんな思い出話はさておき。
『新訂 英文解釈考』の第三章・第四章の目次を。
Ⅲ. 「叙述の様式」と「修辞」
1・「否定」と「肯定」
(1)「否定」と「肯定」の対応
(2)「二重否定」
(3)'Neither ... nor ...'
(4)'No more ... than' 及び「部分否定」
2.「現実」と「仮想」
3.「強調」と「控え目」
4.「修辞技法」あれこれ
(1)形容詞の「転位」
(2)副詞又は形容詞を名詞に「転化」
(3)「比喩」と「擬人法」
(a)「比喩」―「直喩」と「隠喩」
(b)「擬人法(Personification)」
(4)「漸層法(Climax)と「漸墜法(Bathos)」
(5)「対(つい)句(Antithesisi)」
5.「感情」を読みとる
6.「おかしみ」と「辛辣」とⅣ. 叙述の展開
1.「論説」の場合
(1)その構造と展開
(2)「対比」
(3)「解説」と「註釈」
(4)「随想転筆」
2.「描写の場合」
3.「結び」の一句
対句に「対(つい)句」と漢字の読み方が()で書かれている。
漸層法(ぜんそうほう)のほうが難しいと思うのだが。
それはともかく。
目次を見ただけで、一目瞭然。
目指しているのは単なる「英文解釈」を越えた、その向こう。
"『英文解釈考』考"、部屋の掃除が終わったら、書くことにしよう。
木田元、渡部昇一、白川静、田中菊雄、古谷専三・・・
『受験英語と日本人』に話を戻して。
木田元さん、渡部昇一さん、白川静(1910~2006)などの勉強法が紹介されていますが(181 ~183頁)、自分も以前、引用した本は違えど、お三方の勉強法について書いたことがありまして。
これまた嬉し。
それと。
田中菊雄(1893 ~ 1975)の写真、初めて見ました(83頁)。
個人的なことですが。
英語学習に対する考え方に大きな影響を受けのは、田中菊雄と渡部昇一さん。
つまり、一語一語をゆるがせにしない、精読。
精読といえば。
古谷専三(1894 ~ 1991)が思い浮かぶ。
古谷の著作、たとえば、『英語のくわしい研究法』などは読んでいるこちらが恐縮してしまうほど、「すみません」という言葉の連発。
ですが若い頃は、
古谷の著作を読むとたいへん温厚な印象を受けるが、意外にも若いときからケンカっ早く、日大でも教壇から大声で怒鳴ったり、学生を殴って問題になったこともあったという。
― 『受験英語と日本人』 125頁
そういえば、田中菊雄も若い頃のあだ名は「ライオン」であったらしい。
外山滋比古さんの予言
『受験英語と日本人』の「あとがき」にこう書かれています。
外山滋比古は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年ごろ、すでに学習参考書の文化史的な価値に注目し、「いまのうちに蒐集(しゅうしゅう)しておかないと、資料として必要になったときでは手遅れになる。英語の研究のみならず、大きく言えば、明治以来の日本文化全体に関わる文献として注目されるようにならないとも限らない」と警告していた(『新・学問のすすめ』 137頁)。
外山さんの言葉の続き。
高校の英語の先生で英文解釈法の発達というような問題で丹念な調査と研究をする人があってもよい。それによって、英語の輸入紹介の側面が明らかにされるだろう。根元(※外山さん)はそういって学生にもすすめるのだが、まだだれもやろうとするものはあらわれない。
外山さんの予言、『受験英語と日本人』にて、ひとまず成就。
まだまだ研究のスタートラインかもしれませんけど。
伊藤和夫と山口俊治
さて、伊藤和夫。
『ビジュアル英文解釈』の完成にはラジオ講座への出演の影響がある、としたうえで、
もう一つは、かつて山手英学院で同僚だった山口俊治の『英文法講義の実況中継』(語学春秋社、1985)の衝撃と影響である。この本は数百万部というケタ外れの売上を記録した。なによりも説明がきわめてわかりやすく、巧みだった。こうした生徒目線の書き方、柔らかな説明の仕方を、伊藤は年下の山口俊治から学んだのである。
― 『受験英語と日本人』 231頁
伊藤和夫と山口さんの「湯河原合宿」、日本の英語参考書の "その後" に相当な影響を及ぼしたはず。
受験英語の、「ヤルタ会談」か?
『ビジュアル英文解釈』はともかく、伊藤和夫と山口俊治さんは対極の位置に立っていると思われているような気がします。
(難しい)『英文解釈教室』、(わかりやすい)『英文法の実況中継』。
しかし、お二人の著作には共通点がある。
伊藤の『新英文解釈体系』の第9章、「共通項目」、第10章、「挿入と基本要素の識別」(『受験英語と日本人』 269頁)。
『英文解釈教室』では Chapter 14、「共通関係」、Chapter 15、「挿入の緒形式」。
「共通」や「挿入」なる言葉は他の参考書では(「章立て」としては)見かけません。
山口俊治さんの著作でも、「共通」「挿入」が「章立て」されている参考書があります。
『全解 英語構文』(初版1986年)、タイトルを変え、『総合 英文読解ゼミ』(初版1997年)。
この参考書は自分が英語を教えるとき、難しい構文に出会うと「類例」として示すのに実に重宝しました。
※ 今は絶版状態。
この本でも次のような目次、あり。
■ 語句・節の挿入 ・・・ <挿入>
■ 共通関係の考え方 ・・・ <共通関係>
伊藤と山口さん、記述は違えど、言わんとすることは同じ。
お二人が、「共通」「挿入」、重要なのできちんと書くべきでは?などと語り合った(であろう)「湯河原合宿」。
山口さんに『湯河原合宿の実況中継』なる本を書いてもらいたいところ。
さて。
『受験英語と日本人』によると、奥井潔(1924 ~ 2000)は伊藤和夫の業績について、こう評している。
日本の英学史の中で、英語を学ぶ日本人全体の基礎底辺部に及ぼした影響と史と浸透度を考えると彼(※ 伊藤)の業績は偉大な英語学者、たとえば市河〔三喜(さんき)・細江〔逸記(いつき)〕らのアカデミックな業績にも比肩する輝かしい貢献であった。たとえ受験産業が崩壊し受験生など存在しない日が到来しても、日本の英語教育界、英語学界は、彼(※ 伊藤)の業績を素通りすることは絶対にできないと私は信じている。
― 10頁 (※)内、管理人。
これに対し、著者の江利川さんは「斎藤秀三郎の名前も加えたいが、それ以外は奥井とまったく同意見である」と述べている。
英学の三傑、市河、細江、斎藤
奥井潔、市河三喜、細江逸記、斎藤秀三郎の名前が出たので少し余談。
奥井潔は『奥井の英文読解 3つの物語 - 分析と鑑賞-』にてこう書いています。
外国語の習得は、日本の古典、さらには中国の古典を知る訓練と並立するべきものであり、、英語の学習が、日本の古典を、いや明治期の文章すら読みこなせぬ学生の数を増大させる一因となってはならないと、私は考えております。
― 「あとがきにかえて ― culture をめぐって ―」
数年前、絶版となっていたラテン語の参考書が復刊されましたが、Amazon のレビューをみると、3人のうち2人は旧漢字について不便だ、と。
下の写真は市河三喜『英文法研究』(初版 大正元年)の「序」の一部。
※ クリックで拡大。本が痛んでおり、読みにくいのはご勘弁のほどを。
入試に出る英文より読むのに苦労するかも。
でも、読もうと思って読めば、そこは慣れ。
『英文法研究』について、高梨健吉(1919 ~ 2010)は『文明開化の英語』(中公文庫)で次のように評している。
大正元年に出版された市河三喜の『英文法研究』は、かつて『英語青年』に連載されたものであった。
この本によって明治の英学は終わりを告げ、新しい英語研究の次代に入る。
― 173-174頁
細江逸記の『英文法汎論』、例文に和訳なし。
だから必至で意味を考える。
渡部昇一さんの『英文法汎論』評。
・・・私は今でも上智大学英文科の学生全員を相手に細江先生の『新版・英文法汎論』(私が読んだ本の大幅な増補版・篠崎書林、一九七一年)を毎年毎年倦(う)むことなく教えている。
今出ているものは数十ヵ所の誤植のある恐るべき本だが、それに替わりうる文法書を私はまだ見つけていない。
― 『英文法を撫でる』(PHP新書)43頁。
1999年の「改訂新版」ではミスプリントは改善されたようです。
もちろん、『英文法汎論』は受験生向きではありません。念のため。
斎藤秀三郎については・・・。
ちょうどこの記事を書いているとき、『受験英語と日本人』の著者、江利川春雄さんのブログで『英語天才 斎藤秀三郎』竹下和男(著)が刊行されたのを知る。※ 竹下和男著『英語天才 斎藤秀三郎』を推薦します。
さてさて。
思いつきにまかせ、ごちゃごちゃと書いてきました。
まだまだ書きたいことはありますが、長くなったので、また今度。





コメント
from 新谷仙蔵
冒頭の写真にある英語参考書、私も何冊かは所有していますが、通読したのは「英文解釈教室」だけです。
それにしても、まさんたさんの読書量と蔵書の豊富さには感心させられます。
外山滋比古氏が「わが国の英語英文学界の誇るべき業績の一つに英文解釈法の確立がある」と述べているのは面白いですね。
「葦のずいから」が出版されたのは1974年、伊藤の「新英文解釈体系」が1964年刊。
しかし、現在からは考えられないほど予備校に対する社会的評価は低かった時代背景を考えると、一流の英文学者という立場の外山がこの時点で予備校講師である伊藤の著作を念頭においていた可能性は非常に低いのではないでしょうか。
伊藤の業績は、外山が「誇るべき業績」と評価した従来の英文解釈法を批判し、独自の体系を打ち立てた点にあると見るべきでしょう。
伊藤の業績を評価する人は、この体系化によって、英文解釈法は革新的に進化を遂げたと考えるのでしょう。
一方、私は伊藤の業績を認めつつも、伊藤が批判した従来型の英文解釈法により魅力を感じています。
伊藤は批判していますが、(伊藤の英文解釈法との優劣は別にして)、外山がいうとおり、従来型の英文解釈法が優れたものだということは否定できないと思います。この点については、もっと再評価がなされてはいいのではないでしょうか。
それはそうと、「第三の英文解釈法」、「手取り早く言うならば、従来の解釈法プラス、レトリックというものになるだろう。」という記述と出版年度から考えると、朱牟田夏雄著「英文をいかに読むか」(1959)あたりが念頭にあったのかも知れないと、勝手に想像しています。
ただ、「英文をいかに読むか」は体系的な記述がなされている本ではないだけに、「第三の英文解釈法」とまでいえるかどうか。違う本を念頭においている可能性はありますね。
2011年4月 2日 02:57
from まさんた
新谷仙蔵さん、こんにちは。
『英文をいかに読むか』も「公式」批判をしているところがありますね。
「第一編 総論」(14ページ)
と書いたうえで、
「公式」を覚えるのは大切だが、それだけではダメですよ、ということでしょう。
伊藤和夫の業績は、公式を暗記するだけでは不十分で、その成立過程を理解しなければいけない、と主張し、著書にしたところにあるのではないかと。
no more ... than ... 、いわゆる「クジラの公式」(今の受験生に聞いたら、何それ?と言われました)を『英文解釈教室』では 「Chapter 13 比較の特殊問題」と題し、なぜそうなるか、を解説しています。
今では当たり前の解説だと思いますが、当時としては斬新だったかもしれません。
『英文をいかに読むか』と同じ年に上田勤(著)『現代英文の解釈と鑑賞』とう本が出ました。
題名の通り、「鑑賞」に重点を置いた本です。
1960年代に入ると、「第三の英文解釈法」が求められ始めたのかもしれませんね。
2011年4月 2日 21:49
from じょんそん
いつも楽しく拝見しています。江利川先生のところと相互参照して、ヤフオクや、アマゾンで、注文しています(ヤフオクでは撤退を余儀なくされていますが、新たな参考書を発見できるのが楽しみです(無名の参考書にもよいものがありますね。さて、古谷専三、『英語のくわしい研究法』リンク切れです。
2011年9月25日 00:36
from まさんた
じょんそんさん、はじめまして。
江利川先生の収集力にはとても敵わないです。
『受験英語と日本人』に載っている “ヴィンテージ参考書”、僕が所有しているのは山田和男『英作文研究:方法と実践』のみ。
大学生時代、何度か引越ししたのですが、芹沢栄『英文解釈法』を紛失してしまったのは痛い。
齋藤静『双解英和辞典』を missing にしてしまったのは痛恨の極み。
それはともかく、最近は日本の古典ばかり読んでいるのでブログを更新していません。
来月からは月に2回は更新したいと思っています。
たとえ、駄文だとしても。
『英語のくわしい研究法』、リンク切れですか。
直しました。ご指摘、ありがとうございます。
僕は基本、現在流通している参考書を紹介しようと思っていますが、紹介するには3回読んでから、と決めています。
でも、3回読むと、お腹いっぱい。
記事を書く気がなくなりまして・・・。
隠れた名著、ぜひとも記事にしたいと思い、気まぐれに古本屋をひやかしますが、ハズレが多いのが現状です。
2011年9月25日 21:35