伊藤和夫『英文解釈教室』を読む(2) ~番外編

本を読んでいる時は誤訳することのなさそうな文章でも、文法書の例文として前後から切り離されて出された場合は訳すのに苦しむことが時にある。
(中略)長編小説から一行だけ切り取られた例文では、前後関係は確かめようがなく、自信をもって訳せないこともありうる。
― 渡部昇一『英文法を撫でる』 74ページ

と渡部さんがおっしゃっている通り、参考書に出る前後の文脈がない "切り取られた英文" を訳する(意味をとる)のが難しいことはよくあります。

そのことは当ブログで何度も書きました。

誤訳指摘は確かに・・・

前回の記事、伊藤和夫『英文解釈教室』を読む(1) に2名の方からこんなコメントを頂きました。

(おそらく)「伊藤和夫『英文解釈教室』を読む(1)」に言及された方がいらっしゃる。

と。

"おそらく" と書いたのは、言及してくださった方の記事では、自分が書いた記事へのリンクはなく、「あるブログで」と書かれており、特定できないからです。

もしかしたら他の方が書いた記事に対する言及かもしれません。

そんなわけで。

以下、その方が言及していらっしゃるのは自分が書いた "伊藤和夫『英文解釈教室』を読む(1)" だと仮定して書きます。

その方が指摘しているのは、自分がとりあげた『英文解釈教室』の次の例文です。

Those who live nobly, even if in their day they live obscurely, need not fear that they have lived in vain.
 ― 7ページ

※ 前回の記事では if が iff となっていましたので訂正しました。凡ミスです・・・。

自分は「完全な誤訳」とキツイ表現を使いました。

反省。

一方、その方の解釈、伊藤和夫の訳、そして(おそらく)自分の訳に対し、実に冷静、かつ実に示唆に富む分析をされています。

問題を整理すると、

  • nobly
  • in their day
  • they have lived

の3点かと。

まず、nobly の件について。

自分は「この英文の言わんとしていることは」とした上で、次のように書きました。

お天道様に顔向けできる生活をしてるのなら、たとえ(今は)名の知れる人物にはなっていないとしても、今までの人生は空しいものであったのだろうか、などと悲観する必要など全くない。

※ 伊藤和夫訳
高潔な生活を送っている人は、たとえ無名のまま人生を送っても、人生が空しく終わることを恐れる必要はない。

これは和訳ではありません。
この英文のイイタイコトはこうなんじゃないの?と。
「お天道様に顔向けできる」としたのは、ちょっとしたオフザケ(すみません)。

伊藤訳、「高潔な」でいいと思います。

ただ、伊藤訳を借りると、「高潔な人生を送っている人」に対し、

たとえ無名のまま人生を送っても、人生が空しく終わることを恐れる必要はない。

と説教を垂れるのはどうかな・・・、と思いまして。

まあ、よくある cliche な格言といえば・・・ですが。

さて、in their day。

one's day を辞書出調べると、2つの意味が載っています。

1・盛りの時代、幸運の時。
2.若い頃。

そこで、もう一度あの英文を。

Those who live nobly, even if in their day they live obscurely, need not fear that they have lived in vain.

1の意味では多少、無理がある。

ロングマンの定義。

sb's / sth's day a successful period of time in someone's life or in something' existence

例文ひとつ。

Your grandfather was a famaous radio personality in his day (= at the time he was most successful).

成功しているときに、「they live obscurely」は無いことも無いでしょうが、まず無い。

2番目の定義(若い頃)ではどうか。

高潔な人生を送っている人々は、若い頃はたとえ無名まま人生を送っても、・・・

文章としては成り立つと思います。

しかし、「若い頃」という意味は現在の英英辞典(ロングマンや COD)には載っていません。
今はその意味で one's day が使われることは少ないのでしょう。

そのような訳を与えるのはどうかなぁ・・・と感じます(受験参考書ですから)。

そこで。

あの英文がどんな文脈に出てくる文なのかをGoogle 書籍で調べてみる、というか、実は前回の記事を書く際に調べました。

そうすると、かなり致命的なことがあるんです。
モトネタ(原文)が改ざんされている、と言ったらアレですけど。

そのことを書こうと思いましたが、前回の記事ではヤメました。

その理由。
以前、『英文解釈教室』の最初の例文に対し、次の記事を書いたことがあります。

記事本文、そしていつも有意義なコメントを下さる新谷さんとのやり取りで、

なる記事を書きました。

非常に長い記事になったのはいつものことですが、"伊藤和夫『英文解釈教室』を読む" は出典は何か、元々の原文はどう、ではなく、『英文解釈教室』の「例文そのもの」だけに集中しようと思いまして。

実際、問題の3つ目、「they have lived」に関しても、原典を調べると先ほど述べた、致命的な問題が出てきます。

『英文解釈教室』と原典の大きな違い。

【英文解釈教室】
Those who live nobly, even if in their day they live obscurely, need not fear that they have lived in vain.

【原典】
Those who live nobly, even if in their day they live obscurely, need not fear that they will have lived in vain.

will がなぜか『英文解釈教室』では抜けている。

おそらく、どこかの大学の入試問題から伊藤が拾ったのでしょうが、入試問題で will が抜け落ちたのか、伊藤和夫が削除したのかは不明ですが、will のある、なし、では解釈が大きく変わることだけは確か。

でも、そこらへんを書き始めたらキリがないので、あくまで『英文解釈教室』に載っている英文だけを考えよう、と。

ちなみに、原典の英文の前の文はこう。

Tiberius had pomp and power: in his day millions trembled at his nod. But he is forgotten except by historians. Those who live nobly, even if in their day they live obscurely, need not fear that they will have lived in vain.

 ― 「Philosophy for a time of crisis」 1959年

ローマ帝国、第二代皇帝、ティベリウスが出てくる。

in his day に注目。
これはまさに、ティベリウスの「最盛期」のことを言っているのでしょう。

ローマ皇帝といえば、誰もが知っている人物。
それに対し、

even if in their day they live obscurely

一般庶民を比べている。
in his day と in their day の関係は、「生成期、若い頃」のような意味は関係なく、対比として付けた、と思ったのです。

1994年に出た『How to Make a Habit of Succeeding』では、

Those who live nobly, even if in their life they live obscurely, need not fear that they will have lived in vain.

day が life に書き換えられている。

自分は「in their day」に対し、「今は」という日本語を与えました。

その理由。

あくまで『英文解釈教室』の will なし英文で考えてみます。
「they have lived in vain」は現在完了です。

これまでの人生は空しいものだった

と思うのは、当たり前ですが、生きている間のある時点。
その「時点」は、

live obscurely

と、「世に知られていない人生を送っている」時期の、ある時。

さて。

「世に知られていない人生を送っているある時に、

これまでの人生は空しいものだった

と恐れる。

そうすると、

今は世に知られていない人生を送っているけれども、これまでの人生は空しいものだった、と恐れる必要はない。

とするのがいいかな、と個人的に思ったのです。

もちろん、それは自分の和訳力がないから。
もっときちんとした和訳ができればいいですけど。

ただ、僕はそれが浮かばなかっただけです。

謝罪というとアレですけど

(おそらく)前回の記事に言及されている方がいらっしゃると教えて頂いた みずりんさん、zukkun さん、コメントの公開が遅れましたが、この記事を書いてから公開したほうがいいと思ったので。

申し訳ありません。

そして、(おそらく)前回の記事に対し言及してくださった方、今回の記事を読んで不快に思われるかもしれません。
もしそう思われたら、本当に申し訳ありません。

僕は他人の誤訳を指摘して悦に入るつもりはありません。
ですけど、僕が間違っているとしても、違うと思ったらそう書くのも、(おおげさな言葉を使えば) intellectual honesty かな、と。

まあ、そんなわけです。

※ この記事は急いでダダダッと書きました。
頂いたコメントを非公開のままでいるのもアレなので。

よって、誤植まみれの可能性もあり。
あとで読み直し、書き直します。 by 管理人

コメント

from 新谷仙蔵

Googleクンの頑張りすぎで事態が複雑化しているようですが、「英文解釈教室」について綿密に誤訳をチェックされている柴田耕太郎氏も、この部分について(willなしが前提ですが)「誤訳に近い悪訳」とされていますね。

まさんたさんの解釈の問題点を指摘されたと思われるブログも拝見しましたが、willが抜けていることなども踏まえて記事を書かれています。
原典とともにその和訳も掲載されていますが、その和訳は「高潔に生きる者は、たとえ生涯を無名のまま過ごすことになっても、無駄な人生を送ることになると恐れる必要はない。」

この和訳に私は何の異存もないですが、未来完了形の解釈については、伊藤先生の訳とは相いれない訳だと思います。
つまり、この部分の完了形については、未来完了であろうが現在完了であろうが、継続を意味すると思うのですが、伊藤先生の訳では、この部分を完了を意味するものとしてとらえている節がある(ここはもちろん私の主観です。ただし、柴田耕太郎氏もおそらく同じような見解をもたれているからこそ、「誤訳に近い悪訳」と表現されていると思います)。ここを完了の意味でとらえるのは、liveが「人生を送る」という意味でつかわれる場合、非常に無理があります。

もちろん、原文を離れて意訳したのだと言われればそれまでです。でも、伊藤先生は参考書にあまり意訳を掲載しない方だと思うのですが、どうでしょう。

from まさんた

新谷仙蔵さん、こんにちは。

記事には書きませんでしたが、missing - will と言いますか、なぜか消えた will について。
これは「推量の will」なのではないかと。

伊藤和夫自身、『英文法教室』で次のように書いています。

He will be there tomorrow. の will は未来を示すが、He will be there now. 「彼は今そこにいるだろう」の will は現在の事項に推量の意味を付加するだけである。
同様に、He will have arrived there by tommorow. (彼は明日までにはそこに着いているだろう)は本来の未来完了であるが、
⇒ He will have arrived there by now.
(彼はもうそこに着いているだろう)
は、未来完了ではなく現在完了に推量の wil が付加された形である。

あの英文の消された will も推量かと。
ですから、

お天道様に顔向けできる生活をしてるのなら、たとえ(今は)名の知れる人物にはなっていないとしても、今までの人生が空しいものであったのだろうか、などと悲観する必要など全くない。

と原文にない「だろうか」を付けました。

記事をアップしたときは「だろうか」を付けなかったんですけど、原典(will アリ)が頭にあったので、何度か言葉を変えました。

Google 書籍のおかげで楽しい面もありますが、事態は深刻化しております。
僕は “参考書の英文の出典を調べなくちゃ気が済まない病” に罹りました。
しかもかなり重度の。

なんとか前回の記事では症状を抑えましたが、(おそらく)あの記事に言及している方を知り、原典には will がある、と病症再発。

まあ、もう持病となってるのでイイんですけど。

「意訳」についてですが、『英文解釈教室』に「訳出の工夫」という余談?がたくさん出てきますが、基本、伊藤和夫は「意訳しない主義」だと思います。
日本語として意味がわかる直訳、というか、岩波文庫の哲学書のような感じの和訳。

『英文解釈教室』に、

The girl called Betty was walking in the street.

という英文がありますが、伊藤は「ベティと呼ばれる少女」と訳語を与えています。
「ベティという名前の女の子」のほうが日本語としては自然な感じがしますが。

まあ、あまりうるさくいうと、またナンダカンダと言われそうなので・・・。

from 新谷仙蔵

willについては、私も推量ではないかとも考えたのですが、結局未来だと思いなおしました。なぜかと聞かれるとまだうまく説明できるほど整理できていないので説明はしませんが。

ついでに、in their dayについて文法的側面から少し分析すると、dayが不可算名詞であることに注意が必要ですね。可算名詞であれば、前にtheirがついていれば複数形になるのが普通でしょう。
不可算のdayだから、もともとは太陽が昇っている間、つまり日中を意味することになります。
ここから派生して、全盛期という意味が出てきたり、文脈によっては若い時という意味が出てきますが、これらはあくまで比ゆ的な意味ですから、文脈にあわせて訳す必要があるとは思いますね。場合によっては生きている間すべて、つまり人生すべての期間をさす場合もあるとは思います。

inについて述べますと、ここでtheir dayが何を意味するかはともかく、ある一定の期間を示す語が前置詞の目的語になっています。
in+期間の場合、おおざっぱに説明すると、後ろに期間の長さを示す語がくる場合(例 in three weeks 三週間後に)と、特定の期間を示す語が来る場合(例 in March 三月中に)があります。
in their dayは後者の事例、つまりここでのinはwithinで置き換えられることになります。

even if in their day they live obscurelyではliveが現在時制であることに注意が必要ですね。
つまり、主語であるtheyが、their dayという期間の真っただ中にいて無名の人生を送っているとしても、ということですね。

そして、そのtheyが人生においてずっとin vainの状態が続くことになっる(継続)としても、それをおそれる必要はないというアドバイスをしているわけで、どちらかというと老人ではなく若い人に向けたメッセージだと思います。そういう面からも、生き方よりも死に方に重点をおいた伊藤訳には違和感を感じますね。

from まさんた

新谷仙蔵さん、こんにちは。

will については僕も迷いました。
未来完了は普通、「by ~」(~になる頃には)、「If ~」(もし~したら)、「on ~、in ~」(ある時点になると)のような語句と共に使われます。
裸の未来完了はあまり見かけない(見かけたかもしれませんけど、記憶にない)。
でも、理論上といったら大げさですが、可能なのも事実。

in one's day を OED で調べてみたところ、「Period of a person's rule, activity, career, or life;lifetime」なる定義がありました。
おそらく、これかと。

おっしゃる通り、まさに比ゆ的表現であり、太陽が出ている(= 生きている間)で、日没(= 死)を意識して in their day を使ったのかと。

コメントの返信を書き終えたあと、“伊藤和夫『英文解釈教室』を読む ~番外編の番外” なる記事を書き始めました。

もうこうなったら、徹底的に一語一語にこだわろうと。
will の件を含めて。

まだ書き終えていませんが、そうとう長くなる予定。

当初はあの例文は誤訳なのでは?と、サラッと済まそうと思っていましたが、(おそらく)あの記事に言及された方のおかげで、いつものように細かいことにこだわるブログに戻ったわけでして・・・。

伊藤訳、「高潔な生活を送っている人々は、たとえ無名のまま人生を送っても、人生が空しく終わることを恐れる必要はない。」

サラッと読めば違和感はないですが、よくよく読むと違和感を感じます。

「高潔な生活を送っている人々」の「人生」は「空しく終わる」が前提で、それを「恐れる必要はない」、と読めないこともない。

ラッセルの言わんとしていることは真逆ですからね。

「高潔な生活を送っている人々」の「人生」は「空しく終わる “のではない”」なのですから。

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