伊藤和夫『英文解釈教室』を読む(1)

Google で「えいぶんか」と打ち込む。

えいぶんか

「英文解釈」よりも、「英文解釈教室」が先に出る(Yahoo! は逆ですが)。

旧版以来、30年経っても英文解釈といえば、『英文解釈教室』なのは驚くべきことです。

ちなみに、「英文解釈教室」というキーワードで当ブログに来られる方は一日に20人くらいいます。「英文解釈教室 伊藤和夫」、「英文解釈教室 使い方」などを含めると、30~40人になるはず(あるいはもっと?)。

その理由は、「英文解釈教室」で検索すると、Google でも Yahoo! でも当ブログの記事が上位に表示されているからでしょう(※2011/2/28 現在)

こういう意味で、「スゴさ」に気づいた!

「英文解釈教室」と検索して上位に表示されているのは次の記事。

「スゴさに気づいた!」とタイトルを付けたものの、和訳が悪い、といった「いちゃもん」的な内容でした。

「スゴさ」については書いていない。
ですから、「スゴさ」について書こうかと。

もちろん、『英文解釈教室』を勧めているわけではありません。
良書だとは思いますが、受験には必須ではないと思っています。

自分自身、この本を読んだのは受験が終わって数年経ってからのこと。
バイトで英語を教えていましたが、その子が「読みたい」と言ったので。

質問されても大丈夫なように、克明に読みました。

その影響か?

三年近く前に、英文の基本と、複雑になる理由 ~英語の読み方(1)という記事を書きましたが、それを読んでみると、伊藤和夫の「英語の読み方」が自分の「読み方」にそうとう浸透していたようです。

そのことに、気づいた!

という意味で、「スゴさ」に気づいた!わけです。

さらに、1970年代まで英語の参考書の定番であった山崎貞『新々英文解釈研究』や小野圭次郎『英文解釈研究法』が復刊されたのを読み、なぜ伊藤和夫が『英文解釈教室』を書いたのか、少しわかりました。

『英文解釈教室』と小野圭次郎の『英文解釈研究法』の第一章(Chapter 1)を比べてみる。

伊藤は「主語と動詞」、小野は「主語と述語」とほぼ同じ。

しかし、考え方、取り組み方は全く違う。
That 節 が主語になる英文を例にとると、小野圭次郎は、

(2)That で始まる句が文頭主語の場合

と題し、例文を載せる。

That men are poor is simply because they are indolent.
 人が貧乏であるのは単に怠惰であるからだ。
 ― 12ページ

一方、伊藤は、

 こんどは次の書き出しはじまる文を考える。
  That he ...
 That が代名詞の he にかかって、「あの彼」となることはまずないから、That は接続詞と考えられる。
 ― 13ページ

そして、

That Beethoven ・・・
 ― 14ページ

という例文を載せ、

「あのベートーベン」と」いうことも不可能ではないが、それは非常に特殊な場合だから、That = 接続詞という想定で考え・・・

と解説する。

どちらが良い悪いとかではなく、この違いは大きいと思う。

『英文解釈教室』の「はしがき」を一部引用。

英文読解の方法を確立しようとして文法のみに頼れなかったわれわれの先輩は、明治以来多くの努力を重ねてきた。
英文解釈の公式と呼ばれるものを中心とするいくつかの「英文解釈法」はその苦心のあとであるが、著者の見解では、そこには熟語表現への過度の傾斜と、日本語を媒介とすることへの無邪気な信頼がある。

こうだからこう、つまり「公式」だからというのではなく、なぜそう読むべきか、どう頭を働かせて読んでいけばいいのか。
それが伊藤が『英文解釈教室』を書いた理由かな、と思っているところです。

『英文解釈教室』の弱点

『英文解釈教室』は練習問題がない。
例題がその役割を果たしている、とは言えないこともないが、練習問題がないのが最大の弱点。

方法論を学べども、それを定着させる役割の練習問題がないのは痛恨。
『英文解釈教室問題集』なる本を作れば『英文解釈教室』に挫折した人数は半減したと思う。

もう一つの弱点は、誤訳がたまにあること。

たとえば。

Those who live nobly, even if in their day they live obscurely, need not fear that they have lived in vain.
 ― 7ページ

この英文に対し、伊藤和夫は次のような訳を載せています。

高潔な生活を送っている人は、たとえ無名のまま人生を送っても、人生が空しく終わることを恐れる必要はない。

完全な誤訳。

普通に読めば、

恐れる必要がないのは、「人生が空しく終わること」ではなく、「(今まで)空しい人生を送ってきた(のではないか、などと思う)」こと。

「that they have lived in vain」は現在完了形。
これを、「人生が空しく終わること」とは解釈できないと思います。
どうでしょう?

この英文の言わんとしていることは、

お天道様に顔向けできる生活をしてるのなら、たとえ(今は)名の知れる人物にはなっていないとしても、今までの人生は空しいものであったのだろうか、などと悲観する必要など全くない。

のような意味でしょう。

こういうことをバイトで教えていた頃に言いました。
もちろん、教え子は伊藤の和訳(解釈)に自分が異を唱えることに対し、いぶかしげな表情でしたけど。

さて。

『英文解釈教室』について書くとなると長くなるは目に見えています。
だから何回かに分けて書く予定。

といっても、このブログを読んできた方ならご承知の通り、数回であきる可能性大、ですが・・・。

諸事情、というか個人的事情により、しばらくはラテン語の勉強を続けるつもり。
そんなわけで、英語の話題は当分、『英文解釈教室』が中心。

また、流通している参考書なので、『英文解釈教室』に載っている英文をそのまま載せることは極力、避けます。

ですから、『英文解釈教室』を所有している方々向けの記事になります。
ご了承の程を。

コメント

from みずりん

(・・・)でこの文をとりあげていました。
あるブログはこのブログでブログの作者はまさんたさんのことでしょう。
ご報告を込めて。

※ 管理人より。
(・・・)は、あるブログの記事のアドレスですが、この記事とは断定できませんので削除いたしました。
みずりんさん、すみません。

from zukkun

批判している人がいますよー。
(・・・)
もっと更新してください。楽しみにしています。

※ 管理人より。
(・・・)は、あるブログの記事のアドレスですが、この記事とは断定できませんので削除いたしました。
zekkun さん、すみません。

from 新谷仙蔵

Googleで検索すると、確かに「英文解釈教室」が「英文解釈」より上位に来ますね。驚きました。
最近は「英文解釈」というより「英文読解」という表現の方が一般的になっていることも一因でしょうが、「英文解釈教室」に対する評価の高さの一端を示すエピソードではありますね。

個人的には伊藤和夫先生の方法論には少し懐疑的なところがあり、「英文解釈教室」を名著と呼ぶには躊躇しますが、英文の構造というものに着目し、それに特化して体系化した大変な力作であることには反論の余地はありません。

ただ、構文主義に基づく体系化を徹底するあまり、英文解釈に必要な他の要素についてはほとんど目配りされていないのも事実です。
そういう点を差し引いても名著だという評価をするかどうか。私は、そういういったマイナス点と、個人的に漠然と抱いている伊藤先生の方法論に対する疑問とがどうしても気になるので「英文解釈教室」を名著だといいきれないでいます。

それはそうと、"that they have lived in vain"については、まさんたさんの解釈の方が正しいですね。伊藤先生の方の解釈は文法的にありえないです。
in vainについてLDOCEでは"without success in spite of your efforts"としていますから、要するに「立身出世したり金持ちになっていたりといった社会的成功をおさめていなくても、胸を張って生きなさい」もっと古臭い言い方をすると「ボロは着てても心は錦」(水前寺清子)といった感じでしょうか。

from まさんた

みずりんさん、初めまして。

教えて頂き、ありがとございます。

「あるブログ」が当ブログで、「ブログの作者」は僕かもしれません。

ですが、断言できませんのでコメントの一部を変更しました。
ご了承のほどを。

from まさんた

zukkun さん、はじめまして。

教えて頂いた記事を読みましたが、僕は「批判」とは思いませんでした。

コメントの一部(その記事のアドレス)は変更致しました。
当ブログの記事とは断言できないので。

出来る限り更新いたします!
更新、なかなか難しいのですが・・・

from まさんた

新谷仙蔵さん、こんにちは。

『英文解釈教室』、名著かどうか、意見はマチマチでしょうね。
それはどんな参考書でも同じでしょうけど。

ただ、僕が『英文解釈教室』を読んだのは1990年代中頃ですが、その頃には軽佻浮薄な参考書が溢れていた気がします。

それで『英文解釈教室』を読んだ時、「おっ!」と思ったのは確か。

今は「英語は簡単(に学べるん)だ」といった勢力が強いですね。
よくは知りませんが。

そんな中、読み手を突き放した感のある『英文解釈教室』が頑張っている(?)のは良い傾向だと思います。

実際に伊藤和夫の講義を受けていないので何とも言えませんが、著書を読む限り、一語一語にこだわる、という姿勢は感じません(一対一で教えてもらったら違うのかもしれませんが)。

伊藤和夫は新谷さんのおっしゃる通り、構文主義というか体系主義というか。それが真骨頂のように思います。

それを踏まえ、「神は細部に宿る」ではないですけど、構文を理解した上で、単語一つ一つの「語義の選定」が重要かな、と。

このコメントを書く前に、新しい記事を書きました。
「that they have lived in vain」などについてです。

Google が頑張り過ぎなのか、出典や前後の文脈まで調べることが出来ます。
個人的には楽しく調べていますが、逆に問題を複雑化している感あり。

あの英文、「ボロは着てても心は錦」や「武士は食わねど高楊枝」と書けば面白かったかもしれないですね。

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