2010年9月 1日 Posted by まさんた
木を見て森も見る ~英文の出典を探して
文は人なり。
という格言、中国起源かと思いきや、フランス。
ビュフォン(1707~1788)という博物学者が言ったのが、事の始まり。
(Le style est l'homme meme)
この格言は英語にもなっています。
The style is the man.
モーム(Maugham)は『The Summing Up』(要約すると)の中で、この格言を「使われすぎて、陳腐になっている格言の一つ」と言っている。
続けて、「文は人なり、なんてあるものか。頭が混乱しているときに書けば混乱した文になる」とモーム談。
いかにも皮肉屋モームらしい。
今日出来ること、明日でも出来ること
先月(8月)の終わりに、ひと夏かけて、山崎貞(著)『新々英文解釈研究』を読もうと決意。
※ 拙記事 蛍雪の功、そんな言葉に憧れて ~ひと夏の思い出を、山貞に
しかし。
パーキンソンの法則(Parkinson's Law)というのがありまして。
Work expands so as to fill the time available for its completion.
意訳すると、
与えられた期限が長ければ長いほど、仕事を終える時間は長くなる。
明日までに終わらさねば、となれば、今日やる。
あさってまで、となれば、今日はいいや、明日やろ。
夏休みの宿題を思えば分かりますね。
8月下旬になってから必死で宿題を片づけた子供たち。
自業自得だけど、よくがんばった!
まして、やる義務がない勉強となると、要はヤル気の問題。
強引にヤル気に点火。
数日前に、『新々英文解釈研究』の勉強を始めました。
そして思った。
どうやら、この一冊を終えるのに、一年はかかる。
書き癖?
今は第3章、「the + 名詞」を勉強中。
The style is the man.
も同じです。
言っている意味は、
書いた文章を見れば、その人の人間性が分かる。
the style に「どのような文章を書くのか」、the man に「その人の人間性」という意味が込められている。
余談ですが。
村上制勝(著)『シェークスピアは誰ですか?』という本がありまして。
昔から、シェークスピアという人物は実在せず、本当は別人がペンネームとして使っていたのだ、という説がある。
日本で言う、東洲斎写楽「別人説」のようなもの。
『シェークスピアは誰ですか?』は総ページ数199に対し、シェークスピアは誰なのか、に関する話はたったの9ページ。
しかも、「"シェークスピアは誰なのか" は分からないとするのが無難」という結論。
タイトルと内容の驚くべき乖離。
でも面白いのは面白い本ですが。
この本によると、どんな単語を使うか、読点の付け方などで、だいたい作者が推定出来るようです。
このブログで使った単語を Google ウェブマスターツールで調べてみる。
1・英語(6673回)
2・英文(3909回)
3・洋書(2461回
4・という(2311回)
5・英(1654回)
6・てい(1598回)
7・ない(1594回)
8・辞典(1220回)
9・まし(1034回)
10・では(974回)
6位の「てい」。
何ていう文脈に使ったのか、謎。
余談終わり。
気になる・・・気になる・・・
さて。
『新々英文解釈研究』に載っている例文。
The pen is mighiter than the sword.
(筆は剣より強い = 文は武にまさる)
今は「ペンは剣よりも強し」と言いますね。
「ペン」と「剣」が韻を踏んでいるので、「ペン」の方が語呂が良い。
第3章の練習問題に、モームの文章が出てきます。
19
The novelist is dead in the man who has become aware of the triviality of human affairs.(Maugham)
the novelist は「その小説家」という意味ではなく、「小説家としての資質」。
この英文の自分の試訳と解答。
【試訳】
世俗のくだらなさに気づいてしまうと、その人の小説家としての資質は死んでしまう。【解答】
人間関係のつまらなさを悟ってしまえば小説家の素質は死んでしまうのだ。
もし出典がモームだと書いていなかったら、はい次の問題、となったところ。
しかし、『Of Human Bondage』(人間の絆)を代表に、モームには人間関係の "微妙な機微" を描いた作品が多い。
世俗のくだらなさに気づいてしまうと、その人の小説家としての資質は死んでしまう。
モームは「世俗をくだらない」と思ったのか?
また、どんな文脈で言ったのだろう?と思い、英文の出典を探すことに。
- 『The Summing Up』(要約すると)
- 『A Writer's Notebook』(作家の手帳)
この二冊のどちらかだろう、と見当を付け、Google ブックスで調べる。
『A Wtiter's Notebook』が出典らしいのは分かったが、著作権の関係で見られない。
Project Gutenbergにはそもそも『A Writer's Notebook』がない。
仕方がないので、"紙" の『A Writer's Notebook』を最初から読んで探すことに。
読めども読めども、あの英文が出てこない。
疲れたので、『The Summing Up』をパラパラと飛ばし読みしていたところ、冒頭の「The style is the man.」の話が。
お!今勉強している「the + 名詞」の英文!
しかも、そのあとにジョンソン博士(Dr.Johnson 1709~1784)の話が出てくる。
後援者とは、誰ですか?
ジョンソン博士(1709~1784)といえば、「ジョンソンの辞書」で有名。
ジョンソンの辞書について、外山滋比古(著)『英語辞書の使い方』より引用。
ジョンソンの辞書(The Dictionary of the English Language)が日の目を見るまでが、またたいへんであった。
なにしろ十八世紀になるまで、イギリスには辞書らしい辞書はなかったと言ってよかった。
それを作ろうというのである。
こういう場合、後援者(Patron)のあるのが、そのころの出版の常識である。
経済的援助を仰ぎ、出版物に信用をつけることができる。
ジョンソンは時の権勢家チェスターフィールド伯(Earl of Chesterfield)に後援していただきたいと願い出たが、拒否される。
しかたがない、助手六人と独力で辞書作りにかかる。
はじめは三年で完成の予定であったものが、八年半もかかって、ようやく1755年に出版されると、初版はたちまち売り切れ、同年、第二版が出るほど好評であった。
さしもの難事業も完成間近いときいたチェスターフィールド伯は、その期に及んで、後援者を買って出ようとした。
そこでジョンソンの怒りは爆発した。
1755年2月7日付でチェスターフィールドに宛てて手紙を書いた。
その一節に、「おそれながら伺います。そもそも後援者とは、必死で河を泳ぐ人には知らん顔をしてながめていながら、いざその人が岸に着いたとなると、頼まれもしないのに援助の手をさしのべる人のことでありましょうか・・・」
といった痛烈な文句がある。
はじめ断わっておきながら、いまさら、何を言うか、という調子が読むものに脈々と伝わってくる名文で、これがまた有名である。
おかげで、チェスターフィールド伯はすっかり男を下げてしまった。
― P.179-180
その、男を下げてしまったチェスターフィールド伯(1694~1773)の英文が、先ほどのモームの英文の次に出てきます。
20
I look upon indolence as a sort of suicide; for the man is effectually destroyed, though the appetite of the brute may survive.(Chesterfield)
千野栄一(著)『外国語上達法』には、こう書かれている。
・・・一つの課の中の文は、まとまったものであることが望ましい。
「庭に鳥がいます。地球は丸い。明日はお天気でしょう・・・」という類いのお互いに関係のない文からできている教科書より、一つのテーマでつらぬかれているものの方がいい。
― P.101
習いたての頃はそういう教科書のほうがいいと思います。
ですが、ある程度慣れた言語の場合、次はどんな英文か?と思いながら勉強するのも乙なもの。
勉強中に、モーム → ジョンソン博士 → チェスターフィールド伯、と繋がりました。
何つながり?
OED の厳密さ
さて、そのチェスターフィールド伯ですが、普及の名作を世に残しています。
『Letters to his son』(息子への手紙)(1774年)。
練習問題の英文は、間違いなくこの本が出典でしょう。
これは是が非でも出典箇所を見つけなければならない。
なぜなら、effectually という単語に問題がありまして。
I look upon indolence as a sort of suicide; for the man is effectually destroyed, though the appetite of the brute may survive.
この the man も「人間性」です。
形容詞 effectual は「効果的な、適切な」。
その副詞 effectually の意味は中型辞典では「効果的に、有効に」としか載っていない。
the man is effectually destroyed
怠けていると、効果的に(有効的に)人間性が破壊される。
これでは、意味がおかしい。
『ジーニアス英和大辞典』には、
実際には。
という意味が載っている。きっと、これに近い。
そこで OED (Oxford English Dictionary)で調べてみる。
In effect, in fact, in reality.
との定義が。
これで、
怠けているのは、人間性が滅んだのと同じだ。
となり、意味がスッキリする。
しかし、OED には、1768年、かの『トリストラム・シャンディ』で有名な、スターン(Sterne)の『A Sentimental Journey』で使われたのを最後に、effectually が「in effect, in fact, in reality」の意味で使われた例は文献上、ない、とのこと。
†マークは、廃語になった印。
チェスターフィールドの『Letters to His Son』は1774年刊。
何か、おかしい。
思えば、『Letters』はチェスターフィールドの死後に、書簡をまとめて出版されたもの。
それじゃあ、何年に書かれた手紙に出てくるのだろう?
ネットで調べてみる。ありました。
あの英文は、1754年2月26日の書簡の一節と判明。
OED が『Letters to His Son』を "文献上最後" として扱わないのは、本として出版されたのは1774年だとしても、書かれたのは1754年だから。
どれだけ厳密なんだ・・・。
もう一度、チェスターフィールドの英文。
I look upon indolence as a sort of suicide; for the man is effectually destroyed, though the appetite of the brute may survive.
the brute も「人間に潜む野獣性」。
試訳と解答。
【試訳】
怠けた生活を送ってるのは自殺したようなものだ。大切な人間性は滅んだも同然。残るものといえば、人間に潜む野獣的欲望だけにもなりかねない。【解答】
私は怠惰を一種の自殺とみなす。なんとなれば獣的欲望は残存するかもしれないが人間性は滅びたも同然だからである。
出典、文脈がわかったからといって、あまり関係はない英文なんですが。
気になったので。
次のパラグラフにある言葉。
I wish you would use yourself to tranlate, every day, only three or four lines, from any book, in any language, into correct and most elegant English that you can think of;
これを「毎日、3・4の英文をとにかく意味のわかる日本語に訳してみなさい」と、自分への課題として解釈しました。
文脈がわかると、まったく違う話に
1問飛ばして、22番。
22
His pity and sympathy were awakened by the eloquent words of compassion and the strong apeal for mercy; and forgetting the judge in the man and father, he sprang from his chair.
この、
forgetting the judge in the man and father
に苦戦。
人として、いや、父親としての愛情のために思慮分別を忘れ、
と訳してしまい、誤訳に。
解答を見ると、こんな解説が。
forget ~ in ・・・ は「・・・に~を忘れる」
また、the judge は「裁判官たる職責」。
誤訳した大元は、judge を jugement と混同したこと。
辞書を引くべきでした。
『ジーニアス英和大辞典』で調べると、
[the ~] 裁判官の職責。
He forgot the judge in the father.
彼は父親としての愛情のために裁判官の職責を忘れた。
まるで『新々英文解釈研究』から拾ったかのような例文。
編集者が昔、この参考書で勉強したのかもしれない。
それはともかく、これを読めば誤訳しないで済んだのに。
辞書は引くべし。
英文の解答の訳文はこうなっています。
His pity and sympathy were awakened by the eloquent words of compassion and the strong apeal for mercy; and forgetting the judge in the man and father, he sprang from his chair.
力あるあわれみの言葉と、慈悲を求める強い訴えによって、彼はあわれみの情と同情の念を呼び起こされ、人間としての情、父としての情が盛んに起こり、裁判官たるの職責を打ち忘れていすから立ち上がった。
この英文を何度も読み、口に出してみると何となく情景が浮かび上がってくる。
裁いているのは、こともあろうに自分の息子・・・。
ん?
親族の裁判には参加できないはず。
まして自分の子供だとしたら尚更。
傍聴は出来るでしょうけど。
それじゃあ、どんな場面?
家の中?
それなら「裁判官たるの職責」は関係ないでしょう。
自分の子供(息子?)が許しを求めているのだから、椅子から立ち上がったって、別に悪いことはあるまい。
Google ブックスで調べてみる。
出典判明。
『Friends' intelligencer』に載っている「Anecdote of Daniel Webster」という話。
以下、わかったこと。
この父親は裁判官はなく、農場経営者。
懇願しているのは、12歳ぐらいの少年で、別に罪を犯していない。
話の内容を要約すると。
Ezekiel と Daniel の父、Ebenzer Webster は農場を経営している。
兄の Ezekiel が農場を荒らす動物、woodchuck(ウッドチャック)の捕獲に成功。Ezekiel は「殺してしまおう」。
Daniel は「かわいそうだから逃がしてやろう」。意見が割れたので、父親に決めてもらおう、となる。
そこで父は "I will be the judge." (よし、私が裁判官になろう)
Ezekiel、Daniel の意見を順番に聞いた父、Daniel のやさしさ溢れる訴えに・・・
以下、問題の英文。
ちなみに、父親は立ち上がったあと何をしたかというと、Daniel を抱きしめたわけではなく、Ezekiel の方を向き、
"ZEKE, YOU LET THAT WOODCHUCK GO!"
「Zeke よ、ウッドチャックを逃がしてあげなさい!」
Ezekiel の発音は、「エズィーキアル」。
その愛称 Eze はどう発音するのだろう?
ゼク?
それにしても。
力あるあわれみの言葉と、慈悲を求める強い訴えによって、彼はあわれみの情と同情の念を呼び起こされ、人間としての情、父としての情が盛んに起こり、裁判官たるの職責を打ち忘れていすから立ち上がった。
雄弁な言葉(eloquent words)で自分のことを弁解しているのかと思っていました。
自己弁護で雄弁とは、したたかな奴、と
が、無垢な少年による「ウッドチャックを助けて」、という懇願だったのですね。
読んだ印象、がらっと変わりました。
イメージが・・・
英文の前後がわかると、納得して音読できますね。
モームのあの英文の前後はまだ見つかっていないので、読んでいてなんとなく気持ち入らず。
同じモームの文章でも、次の英文は前後の文脈はあまり気にならない。
といいつつ、出典を調べ、全文読んだのですが。
12.
She was a fine figure of a woman and I could well belive that in youth she had been beautiful.(Maugham)
この英文を読んで、この女性はどんな感じの人だと思われたでしょうか?
年齢は45~50歳ぐらい。清楚で上品な女性。
のような感じ?
調べてみると、全く違う。
※ Google ブックスで、問題の英文をコピペして検索してみて下さい。
なんと、この英文が何ページに出てくるのか、まで分かる!
これは、『The Romantic Young Lady』という短編の一節。
この短編を収めた『Collected Short Stories: Volume Ⅰ』は所有しており、読んだこともある。
そういう英文が参考書に載っているのがわかると、なんだか少し嬉しい。
それはともかく、この英文の解答の訳は少し問題あり。
彼女は姿のいい女であった。それで、若いときには確かに美人だったと思えた。
「a fine figure of ~」は、スタイルが良い(have a good figure)ではなく、「立派な体格の」という意味。
語彙数10万ぐらいの辞典には書いてあるはず。
ある意味、婉曲表現。そのままの意味で捉えると間違う。
原文を見ると、この英文の少し前に、この女性の描写があります。
She was a stout, more than middle-aged woman, very much made up, with dark red hair, obviously dyed, cut short;
しかも、話し方も「せわしない」ようで。
「She talked with such a rush ・・・」。
stout について、『ジーニアス英和辞典』ではこう説明されています。
しばしば fat の遠回し語。
stout は特に年配の人がでっぷりして、恰幅(かっぷく)のいいことを表す。― fat の類語比較。
middle age といえば日本では「中年」との訳が定番ですが、Longman(4th)では、「40歳から60歳」、COD では「45歳~60歳」と定義。
ん・・・日本では40代で「中年」と呼ばれるのは抵抗あるような気がしますが。
自分が40歳になった時を想像すると、「おじさん」と言われるのは構わないが、「中年」と言われると・・・ヘコむかも。
『ジーニアス英和辞典』の例文。
middle age 中高年(40-60歳程度)
Divorcing in middle age is one big choice in life.
熟年離婚は人生の大きなひとつの選択だ。
40代での離婚を「熟年離婚」とは言わない。
せめて「壮年期から初老期の離婚」とでもしたほうがいい。
さて。
話を戻すと、女性の年齢ですが、約60歳と判明。
40年前に、主人公はこの女性と会ったことがあり、
She was twenty when I first knew her and she was very beautiful.
これがわかれば、
more than middle-aged woman
を「60歳ぐらい」と訳せますね。
直訳して、「中年を過ぎた」とすると、老人のように受け取ってしまう。
これをふまえ、上記英文からこの女性の容姿。
(やや?)太り気味、年齢は60歳ぐらい。えらく厚化粧をしている。ショートカットの髪は、あかね色だが、染めているのは一目瞭然。
これを知った後、
She was a fine figure of a woman and I could well belive that in youth she had been beautiful.
だいぶ印象が変わる。
少なくても、
清楚で上品な女性。
のイメージは崩壊(?)。
しかし。
ぜひ『The Romantic Young Lady』を読んでみてください。
モームという小説家の真骨頂が現れている短編です。
上のほうで、こう書きました。
【試訳】
世俗のくだらなさに気づいてしまうと、その人の小説家としての資質は死んでしまう。【解答】
人間関係のつまらなさを悟ってしまえば小説家の素質は死んでしまうのだ。もし出典がモームだと書いていなかったら、はい次の問題、となったところ。
しかし、『Of Human Bondage』(人間の絆)を代表に、モームには人間関係の "微妙な機微" を描いた作品が多い。
『The Romantic Young Lady』は人間の「弱さ」を描いた作品。
二度言いますが、ぜひ読んでみてください。
参考書の英文の philology
philology (文献学)というと大げさですが、練習問題の英文とはいえ、前後の文脈、話の全容を知ると、全く違う英文に思えることもある。
あの、「ウッドチャックの裁判」のように。
そうだ。
出典を読んだあと、がらっとイメージが変わってしまう(練習問題の)英文を「ウッドチャックの裁判」と呼ぶことにしよう。
『新々英文解釈研究』の勉強はまだまだ続けるつもり。
どれくらい「ウッドチャックの裁判」が出てくるのか。
なんとなく、楽しみ。
調べるの、大変ですけど・・・。


コメント
from 英語展望台
「The novelist is dead in the man who【has】
become aware of the triviality of human affairs.」
『A Writer's Notebook』の原書をお持ちのようなので
終盤の方の1933年のところのパラグラフの文頭だけを
ず〜っと見ていって、The Middle Ageの次くらいに
The Novelist's Material が文頭にある、わりと長い
パラグラフがあり、その中の文章です。
問題の部分の邦訳2つ
「人間関係の些事にこだわるようになった者は、もう
小説家としての生命がない。」(新潮文庫、中村佐喜子訳)
「人事の下らなさを意識するようになったら、小説家と
しての生命は終りである。」(金星堂、朱牟田夏雄、行方昭夫
共訳註)
中村訳はおかしいでしょう。「些事」ならこの場合は
trivialitiesと複数になるはずだし、aware を「こだわる」
とするのも。。。ここのtrivialityは平凡、陳腐の意味かと。
あるブログの訳は
「小説家の素質は、人事がつまらないことに気づいてしまえば
死んでしまう」http://blog.goo.ne.jp/mchruts/e/31271b58d3ff8e1549a0453fd22aeb49
human affairsの訳は難しいけど「人事」というのは語感が。。
http://findarticles.com/p/news-articles/scotsman-edinburgh-scotland-the/mi_7951/is_2007_July_14/review-cheating-canasta-clever-trevor/ai_n34668939/
このページの4行目以降を自分ではこう訳してみました。
モームは「作家の手帳」の中で「小説家は年を取るにつれ、題材とな
るようないろんな経験に興味を失いがち」であり、「人間同士の問題
などどうでもいいと思うようになったら小説家としてはおしまいだ」
と述べている。むろん(社会的意義などなくっても)当事者同士から
すれば、自分が相手に対して抱く感情というのは大問題である。
しかしながらプリチェットやモームも認めているように、小説家とい
うものはそうした感情を(モームの言葉を借りれば)「もうそんな年
じゃなくなってもずっと問題にし続けなければならないのだ。
(小説の題材になるような、人情の機微だの微妙な感情の動きだのは
年齢を重ねて枯れた、冷めた、悟った、卒業した、という心境に達し
た小説家は書けなくなるのではないか?)
2010年9月 6日 23:01
from まさんた
英語展望台さん、こんにちは。
そして、またまた有り難うございます!
終盤に出ているとは・・・。
あと、引用した英文に「has」が抜けてましたね。
直しておきました。
human affairs の訳語は難しいですね。
「人事」、漢和辞典を見ると「人間社会の事がら」となっていますが、「人事」と聞くと、今では「人事異動」とかのイメージが強い。
朱牟田夏雄、行方昭夫さんの訳は対訳本でしょうか?
Amazon で調べたら1954年となってます。
その頃は「人事」といえば「異動」ではなかったのかもしれませんね。
モームの英文のポイントは aware ?
「気づく」という訳語を使うのに抵抗がありました(けど使いました)。
英語展望台さんの「(どうでもいいと)思うようになったら」は原文ピッタリの訳文。
出典のパラグラフを読んで、そう思いました。
英文をパラフレーズしてみればよかった。
関係代名詞節は副詞節に変換できるときがある。
My uncle, who is a lawyer, gave me some good legal advice.
これは、
My uncle gave me some good legal advice because he is a lawyer.
に言い換えられる。
The novelist is dead in the man who has become aware ・・・.
も、
The novelist is dead in the man, when (if) he has become aware ・・・.
と言い換えると、分かりやすかったかも。
ただ、受験用の英文解釈の参考書では、「原文の“直訳と翻訳の中間”」で和訳するのいいのかも知れません。
難しいところです。
「老成したのだから・・・と思ってしまうと、“小説家としての終焉”」
教えて頂いた「Book Review」の最後のパラグラフ。
William Trevor の短編も同じですね。
「her mind went altogether」
(ぼかした表現にすると、「精神が完全に異常をきたしてしまった」。そして死んでしまった?)妻を持つ A middle-aged Englishman (何歳?)
若いカップル(何歳ぐらい)?の会話を盗み聞き(というか、喧嘩していれば自然と耳に入るか)する。
「うるさい奴らだ」と思って無視するのが普通だが・・・
「もうそんな年じゃなくなってもずっと問題にし続け」ているようですね。
なんだか Trevor の小説が読みたくなってきました。
『Felicia's Journey』(フェリシアの旅)は読んだことありませんが、聞いたことあり。
山貞(の出典探し)を終えたら、読みたいですね。
何年後??
2010年9月 7日 20:37
from 英語展望台
金星堂の朱牟田・行方本は対訳本です。
「人事」というと「人事部」「総裁人事」のほかは例の「人事を
尽くして天命を待つ」(和製漢文ではなく古い漢籍にあるらしい)
くらいかと思ってましたが、辞書で調べ直すと「人世の事件」なんて
モームの文にぴったりの意味もあり、和英辞典では「人事」の訳語に
human affairsとそのものずばりで載っているものもありました。
あるいは明治時代にhuman affairsの訳語として使われていたのが
今のようなpersonnel mattersの意味に多用されだして、元の意味が
かすんだのかもしれません。
余談ですが、昭和30年代に東大の教養学部の英語科の中心だった
のが朱牟田教授で、そのため当時の東大入試の英語問題にもっとも
多く出されたのがモームの文章だったという話です。
2010年9月 8日 22:27
from まさんた
英語展望台さん、こんにちは。
「人事を尽くして天命を待つ」は胡寅(こいん)の読史菅見(どくしかんけん)が出典のようです(※故事ことわざ辞典などによる)。
11世紀ですから、日本でいうと、平安末期ですね。
「人間(じんかん)という言葉があり、「人の世、俗世間」という意味。
human affairs に近いといえば、近い。
「人間万事塞翁が馬」も今では「人間(にんげん)」と読みますが、もともとは「じんかん」。
だそうです(※合山 究 『故事成句』)。
日本では、「人間」を「にんげん」と読み、「人」を指すようになったのは鎌倉時代からだそうです。
言葉の変遷を調べるのは面白いですね。
「面白い(おもしろし)も、元々は「正面(目の前)が白い(明るい)、つまり、風景が明るい」という意味でしたが、今ではだいぶ変わりました。
朱牟田夏雄と親しかった中野好夫によると、昭和十五年にモームの『雨』などを出版したが、担当者は不安がっていたそうです。
「モームって、いったいなんです。大丈夫かな?」と(※『英文学夜話』より)。
そして、モームの翻訳ラッシュへ。
入試問題といえば、モームかラッセル、という時代があったみたいですね。
そのために、高校生たちはモームなどの原書を読んでいた、というのですから・・・。
今では信じがたいですね。
2010年9月 9日 18:23