2010年8月 9日 Posted by まさんた
茂木健一郎流「英語の学習法」への共感の嵐、あれはなんだったのか・・・
ここ数日、
英語の達人たちの提唱する "英語の学習法" には賛同できない。
というような記事を書いてきました。
いまだに英語に苦戦している自分が言うのは・・・と、多少気が引けつつも。
茂木健一郎さんの「英語の学習法」について書いた記事、だから英文法に賛成する(2)~「どうもエライ人の語学上達法というのは・・・」。
自分なりに、「それはおかしい」と思って書いたのですが、茂木さん自身のブログで、
私は学校英語は得意で、いわゆる「英語学習」も好きだった。
英検1級や、国連英検特A級などをとった。TOEFLというのも受けたことがある。
とご発言されているのを見て、「茂木さん、それはおかしくないですか?」と書いたことが、むなしく感じました。
努力の人、努力語らず。もとい、忘れ、否定する
茂木さんの勉強法、かなり話題になってるようで、はてなで300人以上の方がブックマークしています。
その中で、heis101さんが、
英検1級や国連英検特A級といったレベルに達していることが前提の体験・助言であることは、念頭に置いておいたほうがいいと思う。
と発言され、茂木さんのブログへのリンクを張ってくれています。
「野生の英語」と題したページ。
そこには、さっき引用した茂木さん言葉が。
私は学校英語は得意で、いわゆる「英語学習」も好きだった。
英検1級や、国連英検特A級などをとった。TOEFLというのも受けたことがある。
想像を絶する猛勉強。
一方、最近の、twitter でのつぶやき。
英語(8)
学習者向けの、つまらぬ英文を読むな。本物の、魅了ある英文を読め。英語学習を、くだらぬ点取りゲームにしているのは誰か。そんなものは無視しろ。
ご自身の過去の猛勉強、完全否定。
それにしても。
私は学校英語は得意で、いわゆる「英語学習」も好きだった。
から一転、
そんなものは無視しろ。
とは。
ただし、学生時代に得意だった「学校英語」の知識は、無視して(捨てて)いないはず。
学生時代に猛勉強したことで今がある、とおっしゃている方々とは、ホント対照的。
※参照:拙記事 - 語学習得の王道、されど、マネできず...
当たり前のことを言われても・・・
こういう発言を何度聞いたことか。
「野生の英語」にある言葉。
二十代の前半くらいから、英語というのは、つまり自分の好きなことについて読んだり、考えたりするための道具に過ぎないのであって、それ自体を目的にするものではないと思うようになった。
誰も「英語それ自体」を目標にしていません。
受験生なら、入試のため。
英語を使った仕事をしたい人は、就職のため。
もちろん、英語関係の学者の方々は別でしょうが。
そして、「自分の好きなことについて読んだり、考えたり」出来るようになるために何が必要かといえば、英語の勉強。
「野蛮さ」を求めてるのは、誰?
茂木さんが過去の猛勉強を完全否定されたのは、この体験か?
音楽評論家の吉田秀和さんが、「いやあ、茂木さん、私が旧制高校でドイツ語をやったときは、初日にABC(アーベーツェー)の文法をやって、その次の日にはニーチェのショーペンハウエル論を読まされたんですよ。野蛮な時代でした」と言われていた。そのような野蛮さこそが今は求められている。
「そのような野蛮さが今は求められている」かどうかは寡聞にして知りません。
が、高校生は求めていないのは容易に想像できる。
「野蛮さ」を求めた、高校での初日の授業を想像してみる。
みなさん、英語の ABC は習いましたね。
では、今日から論理学者であり、数学者、哲学者であたバートランド・ラッセルの『A History of Western Philosophy』を読みましょう。
静まりかえる教室。
聞こえるのは、夢中でケータイ電話と戯れていた生徒の手から次々と床に落ちるケータイの音のみ・・・。
自戒の念を、込めに込めて
日本人の英語を、人工的な受験英語、検定英語の世界から解きはなったら、本当に面白いことになるだろう。
後世の英語教育学研究者にとっては、ある意味、本当に面白いことになるでしょう。
茂木さんの発想の豊かさにも驚きましたが、一番驚いたのは、やはり twitter での一連のご発言で、スッポリと抜けていた学生時代の話。
私は学校英語は得意で、いわゆる「英語学習」も好きだった。
ということ。
逆にいうと、この言葉が twitter で「つぶやかれ」なかったからこそ、これほど共感を呼んだのかもしれないですけど。
今後も、茂木さんの新たな「英語の学習法」が話題になるかもしれません。
しかし、今後は茂木さんの「発想の豊かさ」として読むことにします。


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