河村重治郎『新クラウン英文解釈』、ため息が・・・

昨日は江利川さんのブログ(希望の英語教育へ)ばかり読んでいました。

読むのに夢中で、缶コーヒーと灰皿の区別もつかず、吸殻入りコーヒーをそのままゴックン、なんてことも。

そして、「参考書欲しい、欲しい病」にかかってしまい。
河村重治郎・吉川美夫・吉川道夫『新クラウン英文解釈』などその一例。

ため息が出るような完成度。

全体が初級と上級の2部に分けられている。
初級編では、基礎的な文法事項を含んだ短文が1区分につき10文ずつ収められ、それが全部で100区分あるから、例文の合計はぴったり1,000。
しかも、各区分が対訳方式の例文、解説、語句註を合わせて、すべて見開き2ページにきちんと収められている。美しい!

もちろん、美しいだけではなく、それぞれの例文の質がきわめて高い。
解説も簡潔にして完璧だ。
―江利川さんの記事から引用。

オークションで五万だそうです。
近くのブックオフで100円で売ってないかなぁ・・・。

82歳で!

河村重治郎については、このブログに書いたことがあります。
苦学、そして若き教師として~『英語名人 河村重治郎』を読む(1)

(1)以降、書いていませんが。

それにしても・・・

ため息が出るような完成度。

河村重治郎の性格(本で読んだだけですが)からすると、妥協なんて言葉はないでしょうね。
『新クラウン英文解釈』が発刊された1969年といえば、重治郎、82歳。
同じ年に、『初級クラウン英和辞典』と『初級コンサイス和英辞典(三訂版)』も出してます。

ホント、老いてますます、ですね。今は、安藤貞雄さんか?

余談ですが。
参考書を紹介するときは、真面目に書かなきゃダメですね。

山田和男『英作文研究』という参考書があります。
江利川さんの記事と、自分の記事、読み比べてみてください。

読まれる前に謝っておきます。ごめんなさい。

英文解釈法の確立は、わが国の誇るべき業績

外山滋比古さんいわく、

わが国の英語英文学界の誇るべき業績の一つに英文解釈法があると言ったら、人々はびっくりするかもしれないが、必ずしも奇矯(ききょう)な意見ではない。
日本の英学界が世界に誇ることのできる学問的業績はまことに淋しいが、英文解釈法というものを研究しようということは夢想だにされなかった。
英文解釈法などという語すら学者の口にすべきものではないとされているかのようである。
―『新・学問のすすめ』

そして、

英文解釈法の発達というような問題で丹念な調査と研究をする人があってもよい。

ともおっしゃっています。
※ 詳しくは、拙記事 - 英語を読む、メガネ

でも江利川さんのような方々がいたんですね。

日本人の外国語習得

日本人が最初に学んだ外国語は漢語ですが、驚くべき方法でした。
原文をことごとく生かし、日本語にする。

下馬飲君酒
― 王維

だったら、

馬より下りて君に酒を飲ましめ

となる。
英文を和訳するとき、「一語一語をおろそかにせず」なんて言いますが、漢文の訓読は、まさに地で行ってます。

この漢字は無視、なんてことはしない(そもそもできない)。

一方、英語を和訳するときは、よく起こる。
そこらへんは生徒の訳文を添削している英語の先生の方々はじゅうじゅう御承知でしょう。

ところで。

聖徳太子らが、漢文を勉強するとき、先生は中国人だったはず。
通訳係みたいな人もいたでしょうけど。

ですから、日本人が漢籍を学ぶ初期は、ある程度、漢語会話?ができたはず。
ですが、その後の歴史をみると、返り点を付けて訓読することばかりで、漢語で会話するというのは、無視されてきた。

中国人と接する機会がなかったのが一番の原因かもしれませんが、その後の日本人の外国語学習にかなり影響を与えたと思います。

まあ、数十年前から、「the oral approach」という言葉が強調されてきましたが、成果のほうはどうなんでしょう?

明治の生徒は漢文が得意らしく

渡邊崋山獄中に在りし時常に母を壞ふて須臾も措く能わず。

While Watanabe Kwazan was in prison, not a moment passed without his thinking of his mothre.
※ 引用記事 - 井上十吉添削・英語学攻修会編纂『和文英訳添削実例』

須臾(しゅゆ)!

この言葉を見たのは何年ぶりだろう?
一時期、漢文を勉強していたとき以来。

江利川さんの、

それにしても、漢文調の日本語が難しい。英語を読んで、初めて意味がわかる言葉もある。
(日本語を添削してくれ~)

という気持ち、すごくわかる。
でも、英語と漢文、両方の勉強にはなるかも?
須臾???・・・ a moment、少しの間か、とか。

detained prisoner ハ誤ニ非ザレ|(ドモ)・・・
※ 誤は正字(旧漢字)に変換できず。

help thinking ハ考ル(コト)ヲ制するの意ニシテ・・・

解説(添削)でも、英文よりも、漢文調の文章に目が行く・・・。

添削者の井上十吉は明治初期に留学した一人。
明治六年に十二歳でイギリスに渡ります。

その後、ラグビー校、キングス・カレッジ、とエリートコースを歩み、明治十六年に帰国。数学の天才だったようです。

そして、前回の記事で書いた神田乃武(ないぶ)や津田梅子のように、帰国後、日本語を忘れていた。

高梨健吉『文明開化の英語』に、教え子の山県五十雄の追悼談が載っています。

私たちは数学は教わらなかった。私たちが教えてもらったのは英文の訳読であった。先生は無口で、かつ日本語がよく話せなかったから、初めのうちは多少先生の学力を疑うていたが、だんだん教わっているうちに、先生の学力が底知らずに深いので、感嘆から崇拝となり・・・

高梨さん談。

むかしの高等学校では、英語の先生はうまい日本語に訳さなければ人気がなかった。

井上十吉が帰国したのが明治十六年。
『和文英訳添削実例』が出版されたのが明治三十三年。

「日本語がよく話せなかった」井上が、

渡邊崋山獄中に在りし時常に母を壞ふて須臾も措く能わず。

の域に達するのに、十年ぐらい。書いている間の年数を、2年だとして。

天才は、やっぱり違いますね。

その後、『英和大辞典(大正四年)』、『和英大辞典(大正九年)』を出版し、

大正年間に大いに用いられ、日本の英学生を益すること大きかった。
―高梨『同書』

大正四年といえば、齋藤秀三郎の『熟語本意 英和中辭典』が出た年。

『岩波英和辞典』の著者、田中菊雄は、

私が英学に志を立てたのはある日店頭で斎藤秀三郎先生の『英和中辞典』の初版を手にした時であった。
(・・・途中略・・・)
赤い表紙のあの『英和中辞典』と青い表紙の『井上英和辞典』とこのニ冊を私は寝ても覚めても手離さなかった。夜寝る時は胸にかかえて寝さえした。
―『英語研究社のために』

もし、ある日店頭で河村重治郎の『新クラウン英文解釈(復刻版)』を手にしたら、もうちょっと真面目に英語を勉強します! ちょっとだけ・・・

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