2009年8月 5日
外国語の勉強は、こうでなくっちゃ
幕末の洋学の大家として箕作阮甫(みつくり げんぼ)は蕃書調所(幕府の外国語研究所)の教授であった。
孫には麟祥(りんしょう)という語学の天才がいた。
祖父は漢文式の訳読であったが、孫は直読直解であった。
ことばは流れゆくままに理解するのが正しい。
高梨建吉(著)『文明開化の英語』の一節。
この本はどこを読んでも面白いが、特に、この件が好きで。
朝に一語を記憶し、夕べに片言を暗誦し・・・
続く文。
漢文式の訓読は逆流させて訳すものであるから不自然である。
本を読むスピードがおそくなるのも当然であろう。
麟祥は他人が一冊読むあいだに三冊も読んだという。
二十一の時に結婚した。
花嫁は十四歳であった。
門弟への手紙には「ワイフをもらったけれども、エージがフォテンでユースレス」と書いてあった。
確かに、エージがフォテンじゃお嫁さんとしてはユースレス、でしょう・・・。
それはともかく。
祖父の箕作阮甫の外国語の勉強法に対する考えが、素晴らしい。
外国の書物は人に教わって読むようなことではいけない。
字引を引いて独(ひと)りでズンズン読むようでなければならぬ。学問の道は涵養(かんよう)を尚(たっと)び、躁進(そうしん)速成を戒めるものである。
※涵養 - そのうち実が結ぶように、じっくりと底力を蓄えること。
※躁進速成 - 地に足をつけず、急いで達成しようとすること。眠いと思ったら眠ればよいのである。
なにもねじり鉢巻で勉強する必要はない。
お花見がしたい、鳥の啼く声が聴きたいと思ったら、一升瓶をもって遊びに出るがよろしい。
窓をしめて一室に閉じこもることはない。
ただ、常に学問を念頭から離さなければよいのである。
そうすれば得るところが自然と深くなってゆくものである。朝(あした)に一語を暗記し、夕べに片言を暗誦し、拳々服庸(けんけんふくよう)すれば、日に月に学問が進む。
これを積みかさねてひさしければ、耳目の触れるところ、みな暗記熟達していないところはなくなってしまうのである。
そうすればなんの書でも読めないものはなく、なんの業でも成就しないものはなくなるはずである。※呉秀三(著)『箕作阮甫』からの孫引き。
達観してますね・・・。


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