2009年1月29日
英語を読む、メガネ
わが国の英語英文学界の誇るべき業績の一つに英文解釈法があると言ったら、人々はびっくりするかもしれないが、必ずしも奇矯(ききょう)な意見ではない。
日本の英学界が世界に誇ることのできる学問的業績はまことに淋しいが、英文解釈法というものを研究しようということは夢想だにされなかった。
英文解釈法などという語すら学者の口にすべきものではないとされているかのようである。
―外山滋比古(著)『新・学問のすすめ』
たしかに『英文解釈法の歴史』のような本は見かけないですね。
受験参考書といえども
したがって英文解釈法を研究しているという人があるという話をきかない。
大きな図書館へ行っても、古くからの英文解釈法の本は見当たらない。
学習参考書は自分で買って赤線を引いたりするもので、図書館の蔵本にすべき種類の本ではないかもしれない。
それならばなおさらのこと、どこかでいまのうちに蒐集(しゅうしゅう)しておかないと、資料として必要になったときでは手遅れになる。
―『同書』
そして、
高校の英語の先生で英文解釈法の発達というような問題で丹念な調査と研究をする人があってもよい。
―『同書』
自分は英語の先生でも、英語の研究家でもないですが、昔の参考書や辞書が好きで、細々と集めています。
ところで。
復刊されましたね、山崎貞『新々英文解釈法』と『新自修英文典』が。
どちらも100年近く前の参考書です(※ 絶版前は、何度か改定されたようですが)。
今、この二冊をチョロチョロと読んでいるところ。
そのうちレビューしようと思っています。
さて、
一口に英文解釈法と言うけれども、これは日本人が英語という外国語に加えた整理の体系である。一朝一夜にできたものではない。
語順のまったく違う英語を和訳できるようにするためには、ごく素朴な形ではあるとしても、日英両国語の比較研究、翻訳手順の設定などが行われなければならない。逆に言えば、英文解釈法が問題にしているところは、日本人にとって、何らかの意味で、抵抗を感じさせた部分である。
―外山滋比古『同書』
ところで。
自分は中学のとき初めて英語を習いましたが、その頃の記憶は...
さぁ?
忘れた。
そこで、『教師のためのロイヤル英文法』という本で、英語の先生たちの教え方を。
英文法の学習を,まず,文の構成から入っていくことは,母国語ではない英語の文の理解という面からも,英語で表現するという面からも,最も自然な方法である。
同時に,日本語の場合,平素は主部と述部として文を分析することがないので,生徒にとって「文」というものの構造を知る良い機会でもある。
英語でも、何語でも、まず大切なのは、主語。
The store on the corner had almost everything.
のような英文を見て,どの語が主語であるのか見当がつかない生徒がいる。
この中から,store という主語を見つけて,この文がある店について述べているのだということをつかむことが大切なのである。
こうして、生徒は少しずつ英文の構造を覚えていく。
そこで、外山滋比古さんの言葉。
しかし、ひとたび、解釈法ができ上がってしまうと、それが、今度は新しく外国語を学習する人の理解を規制する。
A という英文解釈法によって英語を勉強した人は、いわば A というメガネをかけて英語を見ていることになる。
それによって、ある部分はとくに強調されるかもしれないし、また、そのメガネで見えないところも出てくる。
自分の「英語を読むメガネ」については、英文の基本と、複雑になる理由 で少し書きました。
そのメガネで見えないところも出てくる。
たしかにいくら考えても構造(構文)がわからない、意味がとれない英文に出会うときがあります。
かけている「英語を読むメガネ」 にその解釈法がないからでしょう。
あるいはそのメガネをかけても良く見えない(たくさん英文を読んでない)とか、メガネ以前の問題もあるでしょう(歴史、地図、制度などの知識が足りない、など)。
いや、俺はどんな英文でも読める、という方へ、外山さんの言葉。
長年英語を読んでいても、自分の英文解釈法がとりあげていないような語法にぶつかることはほとんどない。
あるいは、ぶつからぬと思っているだけかもしれない。英文解釈法というメガネに見えないものは、ないのと同じことになる。
たとえ少しくらい違っていても、未知のものは既知(きち)のものの中へくり入れられて、解釈したつもりになることは、人間の特技である。
娯楽としてペーパーバックを読んでいるときは、よくわからないところは飛ばしたり、カンで察したり。
あるいは、きちんと読めていると思っていても、実は意味を取り違えていることも多いはず。
英語に限らず、日本語でもそうでしょう。
だから誤解が生じる。
「英語を読むメガネ」に話を戻すと、つねにメガネがピカピカの状態にするにはどうしたらいいのでしょうか?
やはり、毎日、英語に接するしかないですかね。
一週間、英語から離れると、だいぶメガネが曇ります。
それから、自分がかけている「英語を読むメガネ」ですが、いわゆる「学校英文法」。
最近、「さらば英文法!」などといったタイトルがついた英語学習本をよく見かけます。
自分は " 英文法賛成派 " ですが、賛成派だからこそ、その手の本をよく買います。
そして、案外、納得するところが多かったり。
まあ、そのへんの話はそのうち。
最後に、もう一度、外山滋比古さんの言葉。
A という英文解釈法によって英語を勉強した人は、いわば A というメガネをかけて英語を見ていることになる。
それによって、ある部分はとくに強調されるかもしれないし、また、そのメガネで見えないところも出てくる。
みなさんは、どんな「英語を読むメガネ」をかけていますか?


コメント
from Junpei642
日本では長い構文を読むレッスンが高校ではありますよね。まさにどこからどこまでが主語なのか目が回るような英語を勉強していました。
あれは実生活ではあまり役に立ちませんが、英語を読むときに主語を探す行為を真っ先にする癖がついたので良かったかな?
こっちにきてから毎日英字新聞に必ず目を通していた時期があって、そのときはさすがに報道英語のパターンが勝手に身についたかな?
ペーパーバックも同じ著者のものを読み続けることで何か得るものがあるように思うし…
いろんなパターンの英語を集中して読むことで、そのパターンの数だけのめがねができるような気がします。
だめなのは、苦手なパターンの英語を読まなくなることですね。私がそうなんですけどね。
2009年1月29日 21:57
from ajaxblow
つい先日、「新自修英文典」で"going to"を調べ、その説明に感動しました。この本はもう30年以上使い続けているので糊がはがれてきました。でもこの本がなかったらぼくは翻訳者をやっていないと思います。それが復刊だなんて、驚くとともにとても嬉しく思います。
2009年1月30日 01:21
from 管理人 まさんた
Junpei642 さん、こんにちは。
同じ著者の作品を続けて何冊か読むのはいいかもしれませんね。
思えば自分もそうでした。
ぺーパーバックを読み始めた頃は、W. Somerset Maugham ばかり読んでました(というか、今も読んでますが)。
Maugham 、一冊目は苦労しましたが、二冊目以降は読むのがだいぶ楽になった思い出が。使う単語も似ているし。
それは今でも同じ。
初めて読む著者の作品、やっぱり最初は苦労します。
二冊目からは、少し楽に。
それも、その著者の英文に対しての「メガネ」が出来るからでしょうね。
報道の英語も独特のものがありますからね。
思い返せば、自分は「見出し」からつまずきました。
見出しで使う動詞が、過去のことは現在形、未来は to 不定詞で、などといったことも知らずに読み始めたので。
最初に主語を探し、次に述語を探す、というのは意識するにせよ、無意識にせよ、日本人が英語を読むときの根本かもしれませんね。
ほかの国の方たちはどうなんでしょうかね、そこらへん。
2009年1月30日 20:44
from 管理人 まさんた
ajaxblow さん、こんにちは。
30年も使い続けていますか!
山崎貞、確かに訳文がいいですね。
He has good intention : but that is not enough.
彼は心がけはいい、しかしそれだけではしょうがない。
とか。
それにしても…
昔の受験生はこんな難しい本で勉強していたんですね…
復刊を機に、この二冊で「やり直し英語」でも、と思っています。
内容もぜんぜん古くさくないですし、なによりも、ページを開くと、「凛」とした感じが伝わってきます。
2009年1月30日 21:06