2008年7月18日
日本語を、もっと
外国語を知らざる者は、自国語も知らざる者なり。
と言ったのはゲーテですが、逆もまた、真なり。
外国語のまえに、まず、自国語を知らねば。
私の研究の出発点は、「日本とは何か」という問いにある。日本人の精神生活の根源的なありようを、明らかにしたいと私は願っていた。そして私は「言葉」を通してその問題を考えてきた。
国語学者、大野晋さんの言葉です。
その大野さんが先日、お亡くなりになられました。
英語は日本語
なぜか、こうして英語のブログを続けていますが、つくづく思うのは、自分にとって、英語は日本語だ、ということ。
英語を母国語なみに使える、という意味ではありません。当然のことながら。
記事のネタになるよう、「おっ」と思った英文を集めながら英語を読んでいますが、たいてい、こんなものです。
Bosh was wearing out his welcome.
-Michael Connelly 「The Black Ice」
訳せば、
どうやら長居しすぎたようだ、とボッシュは感じ始めた。
ぐらいになるでしょうか。
それにしても、
wear out one's welcome
という表現、とても面白い。
そのほかにも、
Liquor became his life.
酒びたりの生活を送っていた。
-Jhon Grisham 「Rainmaker」
実に簡潔な表現。応用できそうですね。
「インターネットがなくては生きていけない」、だったら、
The Net has become my life.
とか。
あとひとつ、集めた英文を。
His pants were open in the front.
社会の窓が開いていた。
-Michael Connelly 「The Black Echo」
これは日本語のほうが味がある。
まあ、「社会の窓」という言葉が、実際に使われているのは聞いたことありませんが。
普通は、「チャック(Zipper, fly)が開いていた」か?
余談ですが。
ズボンをはく時、ベルトを先にしめると、Zipper が open なことになりがち。
最初に Zipper をしめましょう。
自分はベルトを先にしめるクセがなかなか直らず、ときたま open . . .
それはともかく。
結局、集めているのは、「英語らしい」表現。
「英語らしい」とは、「日本語と比較して」ということですから、英語を読んでいて、つねに頭にあるのは日本語、ということになります。
そういう意味で、自分にとって「英語は日本語」、です。
木木木木木木木
そんなわけで、自分は「日本語」にも興味をもっており、日本語について書かれた本をけっこう集めています。
読むか読まぬかは別として。
大野晋さんの本も、専門書は別にすれば、『日本語練習帳』などのベストセラーになったもの以外は、たいがい持っています。
『日本語をさかのぼる』 『日本語の文法を考える』 『日本語の起源』などなど。
その中でも、何度か読み返した本は、『日本語について』。
次の一節がとても印象に残っています。
大野さんが大学に入り、橋本進吉という先生の授業の話。
大学の多くの先生に接するにつれ、大学教授なる人間の粗雑さ、強引さ、忠実さ、あるいは卑俗さなどが何となく感じとれるようになるにつけて、橋本先生の一毫(いちごう)もゆるがせにしない精密な、峻厳な学問精神が、たぐい稀なものであることがわかって来た。私は何時の間にかそれに魅せられていたのだろう。当時「月月火水木金金」という、航空兵の訓練のきびしさを表した歌が歌われていたが、気づいてみると私は、木木木木木木木という一週間を送っていた。木曜二時間目の国語学演習が私の一週間の生活の中心になっていた。
日本語の歴史を見る目の新しさ、日本語の歴史を極める技術の厳格で、広くて、深いこと。出された宿題を解くために一週間で『源氏物語』 『今昔物語』 『栄華物語』などのすべてを、ななめなりと目を通して用例を拾いあげ、語義の変遷を考え、用法の移り行きをたしかめるなど、力限りの努力を傾けて教室に臨んでも、先生の前では、未知の文献、意外な資料が次々と示され、自分の努力もまるで、人間の歩みのそばの、蟻の歩みのようだった。だから、稀に、ほんとうに稀に、先生が、われわれの発言に対して、反証をあげずに、「そうかもしれませんが、まあ結論を急がないで」と言われたりした時の、われわれの喜びは大きかった。たった一語の研究でも、先生の足元に追いついた、あるいは、わずかに先生が考えられなかったところに行ったかもしれないと思うだけで、われわれは全く嬉しかった。
「ななめなり」とはいえ、一週間で『源氏物語』などに目を通すとは。
自分は秋になると『源氏物語』を読むことにしています。
夜、布団に入り、電気スタンドをつけ、いつの間にか眠りにつくまでの読書時間とはいえ、『源氏物語』を読むには二・三ヶ月かかります。
もっとも、ここ数年は、夜はお酒を飲んでいるうちに、いつの間にやら、ぐぅ・・・ぐぅ・・・ぐぅ・・・
本居宣長と、源氏
日本語の研究、といえば、つきつめれば、『古事記』 『万葉集』 『源氏物語』の研究ということになるでしょう。
それをさらに、つきつめれば、本居宣長、にたどりつくでしょう。
同書の中で大野さんもおっしゃっています。
ですから、もし語学者として、ある方面のことを一つよくできる場合に一段と将棋の段のように勘定すれば、本居宣長は語学だけで四段か五段ぐらいにあたります。ところが...(略)
というわけで本居宣長は学者として八段、九段、名人、もちろん大名人であるわけなのですが...(略)
語学だけでも追いつこうと思ってもなかなか追いつかない。ことに私たちは漢文については絶対に追いつかない。本居宣長が若いころ学んだ漢文の勉強の仕方と私どもが大学で受けた教育とでは、読んでいる度合いが違う。本居宣長の足元にも及ばない。
こうした本居宣長はまた、『源氏物語』を非常に精密に読んでいる。内容を的確につかんでいる。なぜあれほどの語学に加えて『源氏物語』をよく読めるようになったのか。宣長は単に語学的に文法的に読んでいるのではなくて、文学としての『源氏物語』を非常によくつかんでいる。
『源氏物語』と本居宣長というと、小林秀雄の大作、『本居宣長』の冒頭を思い出します。
本居宣長について、書いてみたい、という考えは、久しい以前から抱いていた。戦争中の事だが、「古事記」をよく読んでみようとして、それなら、面倒だが、宣長の「古事記伝」でと思い、読んだことがある。
そして小林秀雄は民俗学者であり国学者・折口信夫の家を訪れる。
...私は、話を聞き乍(なが)ら、一向に言葉には成ってくれぬ、自分の「古事記伝」の読後感を、もどかしく思った。そして、それが、殆(ほとん)ど無定形な動揺する感情である事に、はっきり気附(きづ)いたのである。「宣長の仕事は、批評や非難を承知の上のものだったのではないでしょうか」という言葉が、ふと口に出て了(しま)った。折口氏は、黙って答えられなかった。私は恥ずかしかった。帰途、氏は駅まで私を送って来られた。道々、取止めもない雑談を交わして来たのだが、お別れしようとした時、不意に、「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら」と言われた。
現代の偉大な学者たちをひきつける本居宣長...
と、なんだか本居宣長の話になってしまいました。
そのうち、本居宣長や『源氏物語』について書こうと思います。
本居宣長は、空海とならんで、数百年にひとり出るかどうかの、ある意味、怪物です。
※『源氏』については少し書きました。→ 英訳『源氏物語』
今年は『源氏物語』をまた読もう。
秋になったら。
というか、禁酒できたら...。
『源氏物語』を、怪物・本居宣長のように、は無理としても、小林秀雄、大野晋さんらの、せめて無量大数分の一、ぐらいでも味わえることを願って。
日本語をもっと
今回は、日本語というよりも、日本語に惹かれた人たちについて書きました。
そのうち、「日本語と和書の日々」というブログでも始めるかな、と思ったり。
まあ、絶対に始めないのは、百も承知ですけど。
思うのは、自由。
でもまあ、また機会があれば日本語について書きたいと思っています。
思うのは、自由。
それは、ともかく。
日本語に興味がある方にオススメな本は、故・金田一春彦さんの、そのままズバリ、『日本語』。
この本は面白い。
たとえば、
さて、長い単語として、有名なのは、イギリスのウェールズにある駅名、
Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogogh
だったが、駅がなくなったのは残念だ。日本語では、日本国家の古い名前は、トヨアシハラノチイホアキノナガイホアキノミヅホノクニで、伝説によると、天皇家の先祖には、アメニギシクニニギシアマツヒタカヒコホノニニギノミコトという人がいたという。日本語は拍の種類が少ないので、とかく長大な単語がうまれやすい。
現代語で長いのは、斎賀秀夫が見付けた、
禁酒運動撲滅対策委員会設立阻止同盟反対協議会
で、こうなると、この協議会は禁酒運動に賛成なのか反対なのか、ちょっとわかりにくい。
禁酒運動を撲滅しようというのを対策する委員会を設立するのを・・・
まあ、何はともあれ、自分はそのうち禁酒しようと思っています。
思うのは、自由。
このブログを読んでくださっている方は、英語に興味はあると思いますが、日本語にも興味をもつと、英語の理解力も上がると思います。
ほんと、そう思います。
しつこいが、思うのは、自由、ということで。


comments
from 秋野桜
英語を学ぶと、日本語との違いに目がいき、
さらに、「発想の違い」について気づかされます。
『象は鼻が長い』三上章著
『外国語としての日本語』佐々木瑞枝著
も面白いですよ。
色々、楽しそうな記事が一杯あるので、また遊びに来ますね。
ちなみに、私は、「お亡くなりになられました」という表現が苦手で、
「亡くなりました」「他界される」という表現の方が耳に馴染むのですが、どうでしょう。
2008年7月29日 16:09
from 管理人 まさんた
秋野桜さん、こんにちは。
「お亡くなりになられました」は自分も多少、違和感があります。でもまあ、(テレビなどの)慣習に従って。
故人に「さん」も“正しい日本語”ではないのですが、慣習に従って。
「像は鼻が長い」と「外国語としての日本語」の二書は持っています。ただ、「像は…」の方は現在、行方不明。
「象ハ鼻ガ…」とカタカナだった気がするんですが…。(※古本屋で購入)
また遊びに来てください。そして、間違いなどを指摘してください。
そういうのが、一番ありがたいです。
2008年7月29日 22:28