2007年11月30日
キリスト教について(序)
「キリスト教について」などと、大それた題名をつけました。
が、もちろん自分には聖書を解説できるほどの知識もありません。
そもそも自分はキリスト教徒ではないので、あえて言えば、
キリスト教徒ではない、いち日本人が聖書を読んでみた。
ということで、これから何回か、キリスト教について書いてみようと思っています。
聖書漬けの日々
八月の終わりくらいから、聖書ばかり読んでいます。
毎日、時間があれば、ただただ聖書を読む。
はたから見れば、敬虔なるクリスチャン。
が、仏作って魂入れず。
魂は入れずとも、もう少しで、二回目の通読が終わりそうです。
本当は二回通読し、三回目はメモしながら読み、それからブログに書こうと思っていましたが、一回読むのに二ヶ月はかかる計算。
メモしながらだと、読み終えるのが来年になりそう。
まあ、年をまたいだってかまわないのですが、今年のナンとか、今年のうちに。
それに、メモしても理路整然とした記事など自分には書けそうにはないので。
キリスト教と聖書
ところで、なにゆえ、こんなに聖書漬けなのか。
自分が聖書・キリスト教に興味を持ったのは、だいたいこんな理由。
- 世界で約20億人に信仰されている宗教である。
- 英訳聖書が現代英語の基礎となった。
- キリスト教(国家)と世界史。
カトリック・プロテスタント・東方正教会・英国国教会など、いろいろな宗派がありますが、何はともあれ、キリスト教徒は約20億人といわれています。
これは、世界の人口の約三分の一。
信仰篤いクリスチャンもいれば、聖書を読んだこともないクリスチャンもいるでしょうが、世界の三人に一人は信者というのは、すごい。
そして、書物の中で一番、読まれ、研究されたのは、聖書です。
聖書学という学問があり、これは、聖書考古学、聖書史学、聖書文献学、聖書語学、聖書釈義学という五つの分野に分けられる。
聖書学はヨーロッパでも新しい学問であって、一九〇五年にダイスマンという古典学者が、西洋古典学の方法を聖書の研究に持ち込んだのがはじまりといわれる。それ以来、今日では、二十世紀でもっとも進んでいる学問は原子物理学と聖書学であるといわれるほど発達した。
-山本七平(著)『聖書の常識』
聖書学がどれくらい進んでいるのか自分にはわかりませんが、そういうことらしいです。
確かに、大きな本屋に行くと、聖書関連の本がズラリと並んでいます。
まあ、中には『キリストの謎』うんぬん、のような、うさん臭い本もたくさんあって、ベストセラーになり、映画化されたりしています。
と言いつつ、自分も映画館へ足を運んじゃったりするのですが...。
『欽定英訳聖書』とは
聖書が近代英語、そして現代英語に与えた影響について。
田中菊雄(著)『英語研究者のために』の一節を引用。
聖書とシェイクスピアは近世英語の生みの親である。英語研究者の座右に英語聖書は不可欠の参考書でなければならない。
ここでいう英語聖書とは、1611年に公にされた、ジェームズ一世 (JamesⅠ) の『欽定英訳聖書』(The Authorized Version)。
自分が今読んでいるのも、この『欽定英訳聖書』。
『欽定英訳聖書』は以前、一度読んだことがあります。その時、頼りにしたのは、研究社の『新英和大英和辞典』と、訳文として、中央公論社「世界の名書シリーズ」の一冊、『旧約聖書』。
『旧約聖書』とはどういうものか、を知るのには十分ですが、この本は『旧約聖書』の二十分の一もない抄訳本。
※この中央公論社の『旧約聖書』は現在では「中公クラシックス」シリーズとなっていますが、内容は同じだと思います。
ところで、『欽定英訳聖書』に挑戦する前に、次の評を読んでいました。
文体簡潔、純情、よく一書の中に英語の粋(すい)を集めたものというべきである。
-田中菊雄(著)『英語研究者のために』
華麗な文体、豊かな表現、英語の美しさのゆえに英語散文中の傑作といわれている。
-中尾俊夫(著)『英語の歴史』
そんな素晴らしい英文なら、俺にはさっぱりわかるまい...
と思って、いざ挑戦。
『欽定英訳聖書』はシェークスピア(1564~1616)と、ほぼ同時代。
シェークスピアはけっこう読んでいたので(といっても原書の他に、翻訳本・注釈書の手助けが必須でしたが)、この時代の英語は少しは慣れていたつもりでした。
しかし。
難渋に次ぐ、難渋。
しょうがない。
わからないところは飛ばし...と、なんだか今流行の洋書の多読のような読み方でしたが、なんだかんだ、一応、読了。
一割も理解できたかどうか。
ただ、実際に読んでみて、聞きかじりの『聖書』の知識とは全く違うことがすごく印象に残りました。
『欽定英訳聖書』に挑戦、再び
時間が経ち、今また『欽定英訳聖書』に挑戦。
今度は思ったこと・感じたことをブログに書こうと思って読み始めたので、『旧約』『新約』の全訳本を買おうと思いました。
なぜなら自分の英語力は最初に読んだ時からほとんど進歩していないだろうから。
案の定、読み始めたところ、わからないことの連続。
そして辞書を引く。
それでもわからない。
はて・・・
やっぱり聖書の全訳を買うかな、と。
ですが、ここ数年、無い知恵を絞りながら難しい外国語の本を読むということがなかったので、なんだか懐かしい感じが。
だから聖書の訳文を買うのはヤメ。
よって、誤訳、解釈の間違いがあるかもしれません。
いや、いっぱいあるでしょう。
神様と、読んでくださる方、どうかお許しを。
キリスト教に思うこと
十八世紀になると、いわゆる「啓蒙主義の時代」が始まりました。
と同時に、キリスト教はそれまでの「絶対的」地位を失っていきます。
フランスを中心に、キリスト教否定の思想が広まっていきました。
宇宙・自然界の「法則」をつかさどる神は認めるが、イエスの神性は否定する理神論(deism)。
完全に神の存在を否定する無神論(atheism)。
その代表が、ヴォルテール・ルソー・ディドロなどの、「フィロゾーフ(philosophe)と呼ばれる思想家たち。
皮肉なことに、現在の日本の学会・出版会ではフィロゾーフたちは思想界・哲学界の「神」として崇められていますが。
次の世紀になると、キリスト教否定の傾向はさらに進みます。
この問題を一番真剣に扱ったのが、ロシア文学。
ツルゲーネフの『父と子』や、ドストエフスキー、トルストイなど。
そこで描かれるのは、青年たちはキリストという神を捨てる。
だが、彼らは知らぬ間に新たなる神を生み出す。
「理性」という神。
「理性」を神にするとどうなるか?
それはドストエフスキーの『罪と罰』や『悪霊』に描かれています。
キリスト教と、理性
この、キリスト教と「理性」の問題を、キリスト教擁護のために真正面から論じたのが、チェスタトン(G.K.Chesterton)です。
チェスタトンというと推理小説『ブラウン神父』もので有名ですが、その後世に残した影響は批評家としてでしょう。
その一冊、『正統とは何か(Orthodoxy)』に次の言葉があります。
狂人とは理性を失った人ではない。狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である。
-チェスタトン(著)・安西徹雄(訳)『正統とは何か』
ちょっと、きつい言葉ですが、忘れられない言葉となりました。
そんなチェスタトン(1874~1936)も、十九世紀の「理性」「進歩」の思想の中で育ちました。
私は十二歳の時には異教徒であり、十六の時までには完全な不可知論者になっていた。
もっとも私は、宇宙を支配する一種の神格にたいして、茫漠としたものではあるけれども、とにかく尊崇の念をまったく失ってはいなかった。キリスト教の創始者にたいしても、大きな歴史的興味を抱いてはいた。しかし、キリストをあくまでも一人の人間と考えていた。とは言え、一人の人間として考えても、キリストのほうが、キリストを批判する現代の思想家よりも上だと思っていたことも事実である。ともかく私が読んでいたのは、当時の科学者の書いた書物や、懐疑派の書物に限られていた。
そんなチェスタトンを「正統」なキリスト教へ導いたのは、これもまた皮肉なことに、「理性派」「進歩派」の思想でした。
私を正統の神学に連れ戻したのは、実は進化論者のハックスリーやハーバート・スペンサーであり、合理主義者のブラッドローであった。私の心に、懐疑にたいする懐疑の種子をはじめて蒔いてくれたのは、実に彼らにほかならなかったのである。
人間理性万能の説をなすこういう連中は、私に理性そのものにたいする疑念を抱かせてくれたのである。理性にははたして何らかの有効性があるのかどうか、そのこと自体を疑わせてくれたのである。ハーバート・スペーサーを読破した時、私の疑惑は、そもそも進化などというものが起こったことがあるのかどうかにさえ、はじめて疑問を持つまでに進化したのだ。
ハーバート・スペーサー(1820~1903)は「社会進化」論者。
社会が「進化」するとは、必然的に、現在、そして過去の否定に直結します。先人たちが築いてきた歴史や道徳も「不完全」なものとして退けられる。況やキリスト教をや...。
と、話がそれそうなので、キリスト教と「理性」の話は終わり。
何を書くかな?
さて、「キリスト教について」で何を書くか。
西洋文明の根本にあるキリスト教を読み解く、などといったことは、当然書けません。
聖書を読んで、思ったことを普通に書くつもりです。
もちろん、キリスト教が成立するには、「聖書が書かれた」、ということだけではありません。いわゆる「異端論争」などを経て、徐々に「キリスト教」の教義が成り立っていきます。
有名な「三位一体」をめぐる、アリウス(Arius)派やアタナシウス(Athanasius)派の論争。
アウグスティヌス(Augustine)の「原罪(original sin)」論をめぐるあれこれ。
そして、ルター(Luther)やカルヴァン(Calvin)らの「宗教革命」...。
一応、こういった神学者たちの著作には目を通しましたが...。
なんせ難解...。
まるで神学論争...。
まあ、神学論争なんですけど...。
なので、そういったことは自分が理解できた範囲で、ちょろちょろ書きたいと思っています。
キリスト教と世界史
キリスト教は単なる宗教、心の問題だけでなく、国際政治にも大きく影響を与えてきました。
書くと切がないので、いわゆる「宗教改革」のことをちょこっと。
宗教改革と宗教戦争
教科書的に書くと、宗教改革はルターがカトリックの「免罪符」などを非難した「九十五ヵ条の提題」がきっかけとなりました。
その後、いろいろと、なんだかんだあって、カトリックとプロテスタントの戦い(宗教戦争)は百年以上続く。
それが極まったのが、いわゆる「三十年戦争」。
発端は1618年5月23日。
場所はボヘミア王国の首都、プラハ。
そのプラハの王宮に、武装したプロテスタントたちが侵入し、伯爵二人と書記官を窓から放り出した。
それからカトリックとプロテスタントのまさに「血みどろ」の戦いが続き、1648年10月24日に「ウェストファリア条約」が締結され、信仰の自由が認められた。
1618年に始まり1648年に終結したのだから正確には31年間、戦いは続いたんですが。
というか、途中で十回も休戦条約が結ばれたり...
休戦中も戦っていたり...
ウェストファリア和平条約が締結されても戦争はさらに続いたり...
と、かなり複雑な戦争だったのですが。
しかし、この、いわゆる「三十年戦争」でヨーロッパの勢力図はがらりと変わりました。
それまでは、陸でも海でも、圧倒的な覇権国家であったのは、スペイン帝国。
三十年戦争の結果、スペイン帝国が衰退し、代わって大陸ではフランス、海ではオランダとイギリスが覇を唱える時代になりました。
さて、先ほど、
「ウェストファリア条約」が締結され、信仰の自由が認められた。
と書きましたが、正確には、信仰の違いの問題は、
国家間の問題の中心ではなくなった。
感じ。そこで、覇権国となったフランスの「三十年戦争」中の政策を考えてみます。
フランスはカトリック国。
ハプスブルク家は、当然、カトリック国。
神聖ローマ帝国の皇帝は、ハプスブルク家。
宗教的にはカトリックで、フランスとハプスブルク家は同じ。

ヨーロッパでの最後の宗教戦争、三十年戦争は主に神聖ローマ帝国(ほぼ今のドイツ)内で行われていました。
本来なら、フランスは宗教を同じくする神聖ローマ帝国の皇帝であるハプスブルク家を助けるのが筋。
しかし、地理的にみると、フランスはハプスブルク家に挟まれています。
そして、フランスは神聖ローマ帝国の皇帝の座をねらっていました。
※神聖ローマ帝国の皇帝は選帝侯たちによる「選挙」で選ばれるのがルールでしたが、実質、ハプスブルク家の世襲となっていました。
そこでフランスがとった政策。
国内ではプロテスタントであるユグノー(Huguenot)を弾圧し、国外ではプロテスタント国家を援助する。
ハプスブルク家を弱体化させるために。
この政策を指揮したのが、フランスの主席大臣、リシュリュー枢機卿(Cardinal de Richeliu)。
キッシンジャーは『外交』の中でリシュリューのことをこう書いています。
The principal agent for this French policy was an improbable figure, ...
-Henry Kissinger 『Diplomacy』このフランスの政策を主導したのは、ありえない人物であった。
なんせ、枢機卿はローマ法王を選ぶ資格があるという、高官中の高官。
そんなリシュリューはこう言ったとされています。
『Diplomacy』からの孫引きですが引用します。
Man is immoral, its salvation is hereafter,...
The state has no immortality, its salvation is now or never.
このリシュリューの言葉について、色摩力夫(著)『黄昏のスペイン帝国 オリバーレスとリシュリュー』の「あとがき」にこうあります。
なお、キャッシンジャーの『ディプロマシー』(一九九四年)には、リシュリューの言葉として次のような引用がある。「人間は不滅であり、その救済は、いつの日か、あの世にある。しかし、国家は不滅ではなく、その救済は、今、この世にしかない」と。(略)しかし、残念ながら、その引用の典拠は必ずしも明確ではない。
そして、
それ故、本文の中では引用を差し控えた。ただし、この衝撃的な名言を、まったく無視するわけにはいかないであろう。
まあ、枢機卿という立場にありながら、このような政策を追求したのですから、リシュリューが本当に言ったかどうかは別として、こう思っていたのは間違いないでしょう。
ちなみに、リシュリューの言葉とまるで対になるような教皇の言葉が『Diplomacy』に載っています。
Pope Urban Ⅷ is alleged to have said, "If there is a God, The Cardinal de Richelieu will have much to answer for. If not ... well, he had a successful life.
(リシュリューの死を聞いて)教皇ウルバン八世はこう発言したといわれている。「もし神が存在するのなら、リシュリュー枢機卿には神による尋問が多く待っているであろう。もし存在しないとしたら...さて、彼の人生は成功だったと言わねばならない」
これも教皇が本当に言ったかどうか。
しかし、リシュリュー、ウルバン教皇の言葉は、この時代の潮流をズバリと言い表していると思います。
もっとも、このような政策をとったのはリシュリューが最初ではなく、いわば、フランスの伝統的な国是でした。
リシュリューよりも一世紀も前のフランス王、フランソワ一世(在位1515~1547)はハプスブルク家打倒のためにプロテスタントとも組んだし、イスラムのトルコとも同盟を組んだりしました。
そして、フランス・ブルボン朝の祖、アンリ四世(在位1589~1610)などは、自身、プロテスタントであったが、即位のためにカトリックに改宗し、同じような政策を実行ています。
もちろん、この政策を一番推し進めたのが、アンリ四世の子、ルイ十三世に仕えたリシュリュー枢機卿でした。
リシュリューが目指したのは強力な中央集権国家。
その政策はほぼ成功し、リシュリューの次の代、かの「太陽王」ルイ十四世の時代に、絶対王権(=国民国家)が達成されました。
絶対王権と国民国家は、なじまない感じがするかもしれませんが、日本の明治維新を例に。
江戸時代には徳川家という中心がありましたが、各藩も半独立国家で、徳川家といえども、そうそう他藩の内政にまで干渉できませんでした。
出来立てホヤホヤの明治政府の最大の懸案は、藩をどうするか。
結果として「廃藩置県」を断行しましたが、自分の国のことながら、よく成功したもんだ、と。
そんなわけで「日本国家」が誕生。
ちなみに、三十年戦争の翌年、宗教を横に置いたフランスの政策とは一見すると全く逆のように思えるが、結果として同じ政策をとった人物がいます。
それはウェストファリア条約の翌年(1649)、ジェームズ一世を処刑し、清教徒革命(ピューリタン革命)を行ったクロムウェル(Cromwell)。
...なんだか、ますます聖書の話から横道にそれてしまいました。
一応、「キリスト教について」は聖書を読んだ感想を書こうと思っているんですが、まあ、たまに横道や裏道の話を書こうかと思っています。
というわけで、ごちゃごちゃしてしまいましたが、「キリスト教について(序)」でした。


コメント
from niko
まさんたさん、お久しぶりです!久々の記事が「キリスト教について」だと知って、本当に嬉しく思います!というのも、私は聖書を読もうと思って挫折しているので…。すっかり苦手意識がついてしまって(^^)。これからまさんたさんの記事で勉強させてもらおうと思っています。それにしてもまさんたさんの知的好奇心の広さには本当に感嘆いたします。
2007年12月 7日 13:00
from まさんた
niko さん、お久しぶりです。
聖書に挫折気味ですか。
その気持ち、すんごく分かります。
分かりすぎるほど、分かります…
ほんと、分かります…(以下、同文10回、もしくは19回)
でもまあ、どうにか読み続ける所存であります。
ただし、どんな記事になるかどうかは、神のみぞ知る。
僕の知的好奇心は大海原ほど広いのですが、残念なことに、その深さは道ばたの水溜り並み。
我ながら、残念。
2007年12月 7日 22:34
from 匿名
山本七平さんの本はあまりお勧めしません。記述が不正確すぎるのです。
2008年4月18日 15:34
from まさんた
記述が不正確すぎますか。
山本さんの『聖書の常識』のことなのか、山本さんの本は全部、記述が不正確すぎるのか、わかりかねますが、どちらにせよ、理論上、『聖書の常識』の記述は不正確すぎる、ということになりますね。
ヘブライ語が全く読めない自分が言うのもなんですが、そういえば山本さんのヘブライ語の理解度には疑問を持たれていましたね。
2008年4月18日 20:32