2007年6月21日
英語と人類
英語には、「ヒト」を表す単語がいくつかあります。
man, mankind, people, human など。
今回はそれらの言葉の話。
語源については、OED(Oxford English Dictionary オックスフォード英語辞典)と英語語源辞典を参考にしました。
まずは、man。
man
man は「(成人の)男」と「人類」。
最近は man で「(性別を問わず)ヒト」を表すのは「性差別だ」ということで、man の代わりに person を使い始めています。
chairman 「議長」→ chairperson など。
fireman 「消防士」は man をさけて fire fighter というそうです。
fire fighter なんか、かっこいい。
じゃあ女性、woman の man はどうするのでしょう?
それはともかく、man。
もともとは、男女問わず、「(個々の)ヒト」を意味していたようです。
OED の最初の定義でも、
A human being ( irrespective of sex or age )
驚いたことに、man は18世紀末まで男女問わず「ヒト」という意味で使われていたようです。
man = (男女問わず個々の)ヒト。
OED によると、保守思想の大御所、エドマンド・バーク( Edmund Burke )が1793年に使ったのが文献に残っている最後の例です。
同じ頃に、無冠詞で「人類(mankind)」という意味でも使われ始めたようです。
man が「成年男子(an adult male person)」の意味を持つようになったのは西暦1000年頃から。
man にはいろいろな意味がありますが、古期英語(Old English 約700年から1100年くらい)の頃から、ほぼ現代と同じ意味を持っていたようです。
man はゲルマン諸語に共通の言葉ですが、その語源は不明のようです。
Woman
woman 「女性」も、man と同じくらい古くからあるようです。
語源は、wife + man。
古くは wifmann という綴りでした。
今では wife は「妻」ですが、もともとの意味は?
OED の定義は、
A woman
ずばり、「女性」という意味。方言だったらしいですが。
「妻」という意味も、同じ頃からあったもよう。
wife の語源が少し面白いのですが、長くなるのでまたの機会に。
mankind
mankind 「人類」の語源はそのものズバリ、man + kin(d) 「一族,同属,種」。
13世紀初頭くらいにできた言葉のようです。
ちなみに、語尾の kind。※古英語時代は kin。
kind は「種類」と「親切な」の意味があり、今では別の言葉として辞書に載っています。
ですが、もともとは同じ言葉(kin)でした。
意味は、大きく言えば、「生まれ」。
「種類」という意味は、「生まれ → 種類」。
「親切な」は、「生まれ → 生まれの良い → 親切な」。
綴りが似ている言葉は根っこが同じ場合が多いです。
話を戻し、mankind。
当然、mankind も man が検閲に引っかかり、今では humankind や people を使うようになってきているそうです(ジーニアス英和辞典)。
?
humankind
この man は OK なのでしょうか?
human
さてその human。
語源はラテン語の homo(ホモー)「ヒト,人類」。
homo の形容詞が humanus(フーマーヌス)「人間の,人間らしい」。
フランス語に入り、humain(ユマン)。意味はラテン語とだいたい同じ。
余談ですがフランス語は H は発音しません。
だからフランス人が、
I'm hungry. 腹へった。
これを アイム アングリー と誤解された、という話があります。
まあ、日本でいうところの、rice 「米」と lice 「シラミ」のたぐいの話かもしれません。
話を戻し、human。
フランス語の humain が15世紀の中頃、英語に借入され、語形が変わり、human に。
先ほど、
humankind
この man は OK なのでしょうか?
と書きました。
語源からすると、human の man は、例の man とは無関係。
まさか語源が違うから human の man は sexism (性差別)の問題にならないのでしょうか?
human と man、綴りと意味が似ているので human は man の派生語だと勘違いしてしまいます。
先ほどの kind は綴りが似ている(同じ)だと語源も同じことが多い、でしたが、man と human は綴りが似ていても語源は違う、の典型。
そこらへんも、語源の楽しみだったりします。余談として。
people
people の語源ははっきりしていて、ラテン語の populus(ポプルス)。
populus の意味は、貴族に対する「平民」「群集」、大きな意味で「人々」。
英単語 popular も語源は同じ。
こちらのほうは、かなりラテン語 populus の形を残しています。
ちなみに、ラテン語 populus の語源は不詳。
英語の man もそうですが、基本的な言葉でも、その語源は不明なことが多いです。
人類の誕生の歴史
子供の頃、こんな話を聞き、驚きました。
人類は猿から進化した。
自分の考えでは、半分は当っており、半分は間違い、と思っています。
まあ、そのことはのちほど。
ところで、せっかく、「人」に関する英単語の語源を書いたので、余談として人類の誕生の歴史について。
地球の誕生と、生命の誕生
人類の歴史を語るには、まずは宇宙から。
と思いましたが、そうしたら人類までたどりつけなさそうなので、とりあえず、地球の誕生から類人猿の登場までを駆け足で。
地球は今から約46億年前に誕生しました。
地球が誕生してから約6億年が経つと、海中で最初の生命が誕生する(バクテリアなど)。
その後、少しずつ生物は進化し、カンブリア紀に入った今から約6億年前、多様な生物が生まれてくる。
今から約5億年前、魚類の誕生。
そして魚類から両生類(カエルなど)が派生する。
同じ頃、植物が海を出、陸上で森林を形作っていた。
恐竜の登場
その間、両生類から派生した爬虫類(トカゲなど)は約3億年前に海と決別し、完全に陸上での生活を営むようになる。
地質学でいう中生代(約2億5000万年前~約6500万年前)、爬虫類の中から恐竜が誕生し、5000年と経たずに、地球の征服者となる。
いわゆるジュラ紀(今から約2億100万~約1億4000万年前)。
ジェラ紀に続く白亜紀(約1億4000万~約6500万年前)の末期、地球の王者であった恐竜が絶滅する(約6500万年前)。
恐竜の絶滅については、今では隕石の衝突による、というのが定説となったようです。
正確にいえば、(有名といえば有名な話ですが)、恐竜は絶滅せず、その一部は鳥に姿を変え、現代でも生き残っています。
哺乳類、ひそかに誕生
さて、恐竜が地球を我が物としていた頃、哺乳類の先祖も地球に姿を現しました。
原始哺乳類はネズミやモグラのような形で、体重も8グラム~15グラムくらいだったそうです。
だから恐竜に食べられることもなく、少ない食料でも生きられたので、隕石衝突後の地球環境でも生き残れたのでしょう。
恐竜のいなくなった地球で、原始哺乳類は活動の場を広げていく。
ほとんどは陸上にとどまったが、クジラのように海に進出するのもいれば、コウモリのように空を目指した哺乳類も出てくる。
霊長類の誕生
恐竜絶滅後、木の上を生活の場とする哺乳類が出てくる。
それがいわゆる霊長類、猿の仲間こと。
霊長類、という言葉はピンときません。なぜ「幽霊」の霊なの?
そこで漢和辞典で調べると、
霊長 ふしぎな力をもったいちばんすぐれたもの。
-旺文社「漢字典」
「霊」は正しくは 靈。上は雫の意味。下は巫女。
雫には「おろす」という意味もあるので、霊のもとの意味は、「神降ろしをする巫女」。
不思議な力を持つ者 → 一番すぐれた者。
なんとなく納得。
幽霊も「不思議」なものですから、幽霊についても納得。
人間はある意味、動物の中で一番優れているので、ヒトを含めた猿の仲間を「霊長類」と名づけたのでしょう。
ちなみに霊長類の学名はラテン語で primates (プリマーテース)。
一番、を意味する prim がついています。
英語で霊長類は primate (プライメイト)。
話を戻し、霊長類はそれから1000万年単位で枝分かれしていく。
原猿→真猿→類人猿→人類
原猿や真猿のことは省略し、類人猿のこと。
類人猿
人類学に興味をもつまでは、類人猿と猿人の区別なんて知りませんでした。というか気にもしませんでした。
動物の毛皮を腰に巻き、マンモスを追う、そんなイメージ。
類人猿とはヒトの仲間で、チンパンジー・ゴリラ・オランウータン・テナガザルなどのこと。
猿人は直立二足歩行をした、類人猿と「ヒト」との中間のような存在。もちろん、人類は猿人から発展してきました。
今から約2500万年前、ドリオピテクス(Dryopitecus)という猿が誕生する。
まだほぼ猿の段階ですが、約1000万年前頃まで地球上で繁栄していたそうです。
類人猿のルーツと、分岐
そのドリオピテクスの中で、プロコンスル(Proconsul)という猿がアフリカで誕生する。
これが現存する類人猿(チンパンジーなど)と人類のルーツのようです。
プロコンスルから紆余曲折を経て、今から約1300万年前にオランウータンが枝分かれする。
そして約650万年前には遅れてゴリラが枝分かれ。
残ったヒト(猿人)とチンパンジー、いつ頃に分かれたのか?
はっきりせず。
研究者により、約700万年~約500万年前、とバラバラ。
猿人
猿人(直立二足歩行をした類人猿 = ヒト科)はいつ頃生まれたのか?
それが有名な、ミッシング・リンク(missing link 失われた環)。
20世紀には、ヒトの最古の化石は約440万年前にエピオピアで発見されたラミダス猿人、ということになっていました(1992年、日本人チームが発掘)。
21世紀に入り、約600万年前の化石が発見されたといわれていますが、詳しい検証を待たないと、なんともいえないようです。
もっと古い猿人(ヒト科)の化石が発掘されるかも、しないかも。
なぜ直立二足歩行をしたのか
直立二足歩行、をしたかどうかで、猿人と他の類人猿を区別します。
しかし、そもそもなぜ二足歩行を始めたのかは、いまだにはっきりせず。
ちなみに、現在のようにいろいろな猿人の化石が発見されるまでは、まず脳が発達し、その後、二足歩行を始めた、と考えられていました。
しかし、発見された化石をみると、約300万年から約250万年前の猿人たちの脳の容量はチンパンジーなどと同じくらい(400cc~500cc)。
もちろん、言葉も話せず、道具も使っていない。
いわば、常に二足歩行しているチンパンジー。
ではなぜ猿人は二足歩行をしたのか?
学者の数だけ理論がある、感じ。
結局、まったくの偶然、としかいいようがありません。
そもそもいわゆる進化とは、目的ではなく結果です。
キリンの首が長いのは
キリンの首が長いのは長くしようと思って長くなったのではありません。
普通、草食動物は地面に生えている草を食べます。
あるとき、哺乳類で他の動物より少し背の高いものが出現した。
他の草食動物が食べることが出来ないくらいの、少し高い木の葉を食べることができた。
同じキリンでも、首の長さは微妙に違う。
首の長さが仲間より少し長いキリンがいた。
そのキリンは仲間より少しだけ食料をたくさん食べることができた。
何かの理由で食糧難になっても、そのキリンは他のキリンでは届かないところの葉っぱを食べることができ、生き延びる可能性が少しだけ高くなった。
生き延びる可能性が高くなると、それだけ子孫を多く残せる。
少し首の長いキリンから生まれた子供は、やはり少しだけ首が長い。
それが何代も繰り返される。
すると、気がつけばキリン全員の首が長くなっていた。
あくまで進化するのは遺伝子の結果のみ。
二人揃ってきゃしゃな夫婦がいました。
この夫婦、なんの因果かボディービルに目覚め、筋肉ムキムキになる。
が、その夫婦に生まれた子供の対格は、おそらくほっそりしているでしょう。
もちろん、隔世遺伝というのがあるので、その夫婦の父、母にガタイのよい人がいたら、孫に遺伝し、体格のいい子供が生まれるかも。
アフリカの原人たち
長々と進化、いやキリンの話をしてきましたが、アフリカにいた猿人たちの話へ。
その歴史は、いわば猿人の見本市。
というわけで、有名どころだけを pick up。
アウストラロピテクス
1924年、オーストリア生まれのレイモンド・ダート(Raymond A. Dart)が南アフリカで猿人の化石を発見。
※実際に発見、というか「変な石が出た」、とダートに送り届けたのは同僚のヤングという人ですが。
これが、初めて発見された、猿人の化石。
ヒトと類人猿を分けるもの。
直立二足歩行以外に、犬歯の縮小、つまり牙がない。
猿は威嚇するとき、鋭い牙をむき出しにします。
一方、人間の犬歯は小さい。
ダートが発見した猿人の化石は犬歯が小さかった。
頭蓋骨は霊長類(サル)に近いが、原始的なヒトに違いない。
ダートはこの化石にアウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus aficanus アフリカの、南のサル)と名づける。
ラテン語の pitecus (ピテークス)は「サル」。
homo (ホモー 人間)とは呼ばず、「サル」としたところを考えると、いかにダートが慎重だったか、うかがい知れます。
しかし、人間は脳から発達した、と信じる学会の反応は冷たかった。
石器発見
次に登場するのはルイスとメアリーのリーキー夫妻。
1959年、リーキー夫妻はタンザニアのオルドバイ峡谷で石器を発見する(オルドワン石器)。
石器を使っていた猿人は誰?
1962年、ついにその使用者をつきとめる。
その猿人たちの脳の平均容量は642cc。
それまでに発見された猿人たちより少し脳の容積が増えていた。
リーキーはこの化石にホモ・ハビリス(Homo habilis 器用なヒト)と命名した。
約180万年前に生きていたホモ・ハビリスは猿人ではなく、ヒトの仲間に加わったことになる。
より新しいホモ・ハビリスの化石は、リーキー夫妻の息子、リチャード・リーキーが発見する。
その化石の脳容量は850cc。年代は約150万年前。
人類は10万年という長い単位で、少しづつ脳を大きくさせてきたことになる。
猿人界のアイドル、ルーシー
ちょっと逆戻り。
1970年以前は、猿人の化石は約250万年前のものが最古だった。
だが1974年、ドナルド・ヨハンソン(Donald Johanson)らのチームがエチオピアのハダールで約320万年前の猿人化石を発見する。
しかも、普通は骨の一部が発見されるのが多い中、ヨハンソンらが発見した化石は全身の4割ちかくの骨格がそろっていた。
発見したその晩、ヨハンソンらはビールをあびるほど飲んだ。
バックにはビートルズのナンバー、「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド」が流れていた。
こうして、このアウストラロピテクスには「ルーシー」というあだ名がつけられた。
ちなみに、ルーシーは25~30歳の女性で、身長は1mであった。
と、ルーシー命名の話は、どの人類学の本を読んでも出てきます。
古い猿人の化石の発見ということもありますが、やっぱりビートルズのナンバーを聞きながら酔いしれた、というのが感動的?なのでしょうか。
約500万年前~約150万年前の人類
こうしてアフリカで細々と進化し続けた人類も、ついにアフリカを出る時がやってくる。
約200万年前~約150万年前のいわゆる、第一次 out of Africa。
その前に、アフリカに留まっていた人類の総まとめ。
約500万年前~約150万年前にアフリカにいた猿人・ホモ科は今までにあげただけではありません。
そのほかにも、ガタイのよい猿人、アウスロラロピテクス・ロブストスや、アウストラロピテクス・ボイセイなども、他の類人猿とアフリカで共存していました。
共存といっても、交流があったかどうかは謎。
そして、どの猿人がどの猿人にバトンタッチし、現代人につながるのかも、学者によってまちまち。
一応、年代順に図にしてみると、

アフリカから最初に飛び出した人類、つまりホモ・エレクトスは、ホモ・ハビリス、もしくはホモ・エルガステルから派生したようです。
ホモ・エレクトスとは、「立ったヒト」、の意味で、いわゆる原人。
猿人だって立って歩いてたんじゃないの?
と突っ込みたくなりますが、それはそれ、これはこれ。
で、アフリカ出発。
第一次アウト・オブ・アフリカ
今から約200万年前~約150万年前、ホモ・エレクトスの中の、とある集団がアフリカから飛び出す。
そしてわずか数万年後には東南アジアや東アジアにまでたどり着く。
それが、ジャワ島のジャワ原人や北京原人。
ジャワ原人と北京原人
実は猿人より先に、ジャワ原人などの化石が発見されていました。
人類は類人猿から生まれた、と信じるオランダのユージン・ドゥボワ(Eugene Dubois)がジャワ島のトリニールで類人猿の頭蓋骨の頂部を発見する(1891年)。
脳の容量は約850cc。
翌年には大腿骨と一本の歯も発見する。
約100万年前から約50万年前のものと考えられた。
頭は類人猿だが、大腿骨からすると、まぎれもなく直立二足歩行をしていた。
しかし、例によって例のごとく、学会には認められなかった。
絶望したドゥボワは自宅の台所の床下に発見したジャワ原人の化石をしまい込み、それ以来、誰にもみせようとしなかった。
ドゥボワはこの化石に「ピテカントロプス・エレクトス(Pithecanthropus erectus 半猿半人)と名づけた。
ピテカントロプスとは、ダーウィンの進化論を熱心に支持したドイツの哲学者、ヘッケルが想像した、古代人のこと。
今ではジャワ原人はホモ・エレクトスの仲間に含まれます。
あの、今から約200万年前~約150万年前、アフリカを飛び出した集団の一派。
ジャワ原人発見の約35年後、北京原人が発見される。
北京原人も、第一次アウト・オブ・アフリカ組の、ホモ・エレクトス。
多地域並列進化説と単一起源説
ところで、人類の進化には二つの説があります。
一つは多地域並列進化説。
簡単にいうと、ジャワ原人はその後、進化してオーストラリアのアボリジニとなり、北京原人はモンゴロイド(日本人や中国人など)に進化した、という考え。
ヨーロッパではちょっと事情が異なるので後述。
しかし、この説には大きな問題が。
現代人は、大きく分ければ、白人・黄色人・黒人がいます。
どの人種間でも交配が可能で、生まれた子供も生殖能力を持つ。
それは肌の色、髪の色、体格などの見た目は違うが、全く同じ種、だから。
ライオン、トラ、チーターなどは、みなネコ科だが、活動の場、特徴も違い、交配することはできない。
早くに分岐したので、別種となってしまったから。
驢馬(ロバ)と馬(ウマ)は同じウマ科。交配も可能。
ということは、かなり種が近い。
しかし、生まれた子供、いわゆる騾馬(ラバ)には生殖能力はない。
遠い未来にはラバは生まれなくなるでしょう。
話を戻すと、ジャワ原人や北京原人は最初の頃はかなり種が近く、交配できたかもしれない。
しかし、そのためには活動の場が近くなくてはならない。
東南アジアと東アジア、地図では近いが、原人たちが常に交流し合い、違う原人からお嫁さんをもらったりするには遠すぎる。
東南アジアと東アジアならまだしも、アジアとヨーロッパ人の祖先となった原人たちが常に混血を重ねてきたとは考えにくい。
というわけで、多地域並列進化説は最近はあまり支持されていない、もよう。
ちなみに、化石からすると、ジャワ原人は約10万年前に絶滅した、らしい。
北京原人はもっと早く絶滅したようです。
多地域並列進化説に代わって登場してきたのが、人類単一起源説。
ミトコンドリア・イブ説
さて、ミトコンドリアDNAの話。
が、DNAには門外漢なので(それをいえば人類学にも門外漢だが)、簡単にサラッと。
ミトコンドリアDNAにはいろんな特徴がある(そう)ですが、その中の一つが、母親からしか受け継がない、こと。
何代さかのぼってもそれは同じ。
というわけで、それを調べたアラン・ウィルソンやレベッカ・キャンらは『ミトコンドリアDNAと人類進化』という論文を1987年に発表した。
現代人は約20万年前にアフリカに住んでいた一人の女性から派生した可能性が高い。
正確には、約25万年前~約15万年前、らしいですが、この論文に人類学者、とくに多地域並列進化論者たちは衝撃を受けた。
当然、批判が相次いだ。
サンプルが少なすぎるのでは?
計算方法に問題は?
が、ミトコンドリアDNA以外の証拠などから、今では現代人の祖先は約20万年、アフリカに住んでいたある一部の人類から派生した、に落ち着いているようです。つまり、人類単一起源説。
ホモ・サピエンス
先陣を切ってアフリカから飛び出した集団がいる一方、アフリカに留まって独自に進化したホモ属がいました。
その中の一つが、ホモ・サピエンス(Homo sapiense 賢いヒト)。
今の人類の直系のご先祖さま。
その先祖たちはどうして生まれたの?
例によって、いろいろな説がありますが、細かいことを抜きにすると、
ホモ・ハビリス → (?ホモ・エルガステス)
→ ホモ・ハイデルベルゲンシス → ホモ・サピエンス
ということらしい。
ホモ・サピエンスは生活や文化は違えど、現代人とほぼ同じ機能をもっていました。
この集団の一部が、約20万年頃、アフリカを出発し中東へと向かう。
もちろん、アフリカに留まった集団もいました。
ネグロイド (Negroid) 、つまり現代のアフリカ人の祖先。
アフリカを出たホモ・サピエンスは今から約5万年前にはユーラシア大陸に広まった。
そして今から約1万数千年前にはベーリング海峡を渡り、アメリカ大陸にも進出する。
その間、人類は他の動物とは違った能力を身に付けていく。
約7万年前には初歩的なものだが、「芸術」を発明する。
文様が刻まれた土片や、首飾りにしたと思われる穴の開いた貝殻などの化石がアフリカで発見されたが、約7万5千年前のものとされてます。
それは人類が想像力をもった証拠。
脳も1500ccくらいに増大していた。
もちろん、それは仲間より少し賢いヒトが子孫を多く残し、生まれた子供は親譲りに賢くて・・・を繰り返して。
当然ですが、数万年前は、現代よりも生き抜くのが大変。
文字通り、「生きるすべ」を身につけた集団が生き残れたのでしょう。
そうこうしている間に、約1万年前には農耕が始まる。
約700万年かけて、人類は「文明」を作り始めたことになります。
余談として書き始めた「人類の誕生の歴史」。
余談としては長くなりすぎたので、これで終わり。
その後の人類の歴史は、ご承知の通り。
最後に切ないお話を
以下は余談の余談。
ジャワ原人は滅んだ、と書きましたが、2004年に約1万8千年前のものと推定されるジャワ原人の化石が発見されました。
場所はジャワ島の近くの孤島、フローレンス島。
発見された化石の身長は約1メートル。脳は約400cc。
脳は1000cc、身長は170cmと大型だったジャワ原人の子孫。
小さい方が生き残る可能性が大きい環境にいる場合、小型化することは珍しくないですが、脳が小さくなったというのは不思議。
さらに、脳が小さくなっても、祖先のジャワ原人たちより高度な道具を使っていたというからまた不思議。
この小型ジャワ原人、今から約1万2000年前にフローレンス島を襲った火山噴火で滅んでしまったようです。
ネアンデルタール人の謎
続いてネアンデルタール人。
今から約20万年前から約3万年前まで、ヨーロッパや中東に住んでいた人類。
1856年、ドイツのネアンデル渓谷で石灰岩の発掘作業をしていた工夫たちが発見した。
ネアンデルタール人の謎について語ると、「人類の誕生の歴史」の倍くらいになりそうなので、サラッと。
ネアンデルタール人は約3万年前まで生きていた。
ということは現代人の祖先であるホモ・サピエンスと約1万年くらい共存していたことになる。
脳の容量も約1500ccと、現代人よりも大きく、体も現代人よりもたくましいかったらしい。
それがなぜ滅んだか。
例によって例のごとく、不明、のようです。
ただ、はっきり言えるのは、「彼らは環境に適応できなかった」。
脳は大きくても粗末な道具しか持っておらず、芸術を作り出す想像力もなかった。
ちなみに、最後の頃の遺跡では高度な石器が発見されています。
あとからやってきた賢いホモ・サピエンスに学んだ、つまり交流があった証拠とされています。
ネアンデルタール人の平均寿命は短かった。35歳以上生きられたのは1割にも満たないという。
数万年前だったらそんなものでしょう、と思いますが、いかがでしょう?
環境の変化は平均、7万年周期でやってくる。
想像力が劣る、つまり適応能力に欠けるネアンデルタール人は環境の変化についていけず、自然と人口を減らしていく。
個体数が少なくなると、どうしても血が近くなる。
血が近くなると、生物として、不都合なことがたくさん起こる。
そうして、徐々に姿を消していった・・・
という説もありますが、本当のところは、当然、謎。
まあ、確実なのは、彼らは「生きるすべ」において、現代人の祖先たちより劣っていた、ということ、らしい。
進化とは?
かなり上にスクロールしないと見えない冒頭で、
人類は猿から進化した。
自分の考えでは、半分は当っており、半分は間違い、と思っています。
まあ、そのことはのちほど。
と書きました。
人類は猿から進化した。
たとえ生物学上はそうであっても、人間は猿とは違います。
直立二足歩行しているから人間なのではなく、文明・芸術があるからこそ、人間。
文明を築いた時から、人間が生まれたのであり、それ以前には人間は存在しない・・・
と、語り始めるとまた長くなりそう。
自分はお風呂に入りながら本を読むのが大好き。
猿にお風呂の心地良さはわかるまい。
でも、猿が温泉に入る映像を見たことある。
ん・・・
自分にとって最高に幸せな時間は、お酒を飲んでいるとき。
でも、猿も「猿酒」を飲むか。
ん・・・
野球と格闘技。
これなかりせば、生きる喜び半減。
プロ野球と格闘技観戦、この楽しみだけは、猿たちにはわかるまい。
やっぱり人間の勝ち!
余談の余談の余談
哺乳類の先祖は魚類。
人類の祖先をどうしても人間以外に求めるなら、
人類は魚から進化した。
でもいいんじゃない?と思ったり。
噂話によると、ではなく、犬塚則久(著)「退化」の進化学」によると、人間がまだ胎児のころには、耳の中にサメのアゴのなごりが残っているそうです。
さらに、人間の頭のてっぺんに、トカゲの目のなごりが今でもあるそうです。誰にでも。
もっと恐い話は・・・
余談の余談の余談がまた長くなりそう。
終わり。
なお、今回の「人類の誕生の歴史」は、小山英明(著)「人間の来た道」などの人類学の専門書をいくつか参考にしましたが、専門書というのは例によって例のごとく。
結局、入門的な新書が一番わかりやすい。
参考にした新書は主に下の三つ。
以上、余談ばかりだった「英語と人類」でした。
最後に、余談の余談の余談の余談。
この記事、読み返してみたら読みにくく、わかりにくいこと、この上なし。
例によって例のごとく、何かがこう・・・スッキリしない、らしい。
そのうち書き直します・・・
今日はもう、疲れた。

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