2007年4月11日 Posted by まさんた
水仙とワーズワースの詩 花と英語
花と英語 初春編でも水仙(narcissus)を取り上げましたが、再び。
あれ以来、すっかり水仙のとりこ。
水仙 narcissus [ ナースィサス ]。
そういえば、ウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth 1770-1850)に、「水仙」という詩があったな。
と思い出し、岩波文庫の「イギリス名詩選」を開く。
ありました。
が、題名が、The Daffodils。
narcissus ではありませんでした。
水仙というと daffodil のほうが、一般的なのでしょうか。
そこで、daffodil [ ダフォディル ]を調べました。
ラッパズイセン;その花《◆leek と共に Wales の象徴;primrose, bluebell, snowdrop と並んで英国の春を代表する草木》.
-「ジーニアス英和辞典」
daffodil、変わった綴りの英単語だな、と語源辞典を見る。
少し複雑。
かいつまんで説明すると、もとは affodil 「不凋花」。
そこにオランダ語の定冠詞、de が付いて、de affodil → daffodil。
というのが一般的だが、本当かどうかは不明らしい。
話を水仙に戻し、daffodil を Longman (Longman Dictionary of Contemporary English ロングマン現代英英辞典)で見てみる。
a tall yellow spring flower with a tube-shaped part in the middle
つまり、黄色い水仙。↓これかな?
ワーズワースの詩の中でも、
golden daffodils
となっています。
英国の春を代表する花のようです。
The Daffodils
ついでなので、ワーズワースの詩を。
長い詩なので、最初の方だけ。
訳文は岩波文庫のものを借用します。
I wander'd lonely as a cloud
That floats on high o'er vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host of golden daffodils,
Beside the lake, beneath the trees
Flutttering and dancing in the breeze.【訳】
谷を超え山を越えて空高く流れてゆく
白い一片の雲のように、私は独り悄然(しょうぜん)としてさまよっていた。
すると、全く突如として、目の前に花の群れが、
黄金色に輝く夥(おびただ)しい水仙の花の群れが、現れた。
湖の岸辺に沿い、樹々の緑に映え、そよ風に
吹かれながら、ゆらゆらと揺れ動き、踊っていたのだ。
英詩について語れるほどの英語力、鑑賞力は自分にはないので、一応、英文解釈のような感じで読んでみます。
I wander'd lonely
¶wander/ウァンダ(動詞)=go about place to place aimlessly(POD)
¶wander'd = wandered私はさまよい歩いた
as a cloud
雲のように
どんな雲?
That floats on high o'er vales and hills,
¶o'er = over
¶vale/ヴェイル(名詞)谷(vally)。谷や山々の上空高く流れ続ける
floats on の on は「継続」。
walk on 歩き続ける;march on 進軍し続ける
-「カレッジクラウン英和辞典」
hill は、山。
《英》では標高600メートルぐらいまでのものをいう;日本語の「山」は hill に相当することも多い》.
-「ジーニアス英和辞典」
When all at once I saw a crowd,
そのとき突然、大群を見た。
when は関係副詞(そのとき)。
どんな大群?
A host of golden daffodils,
¶a host of ... (熟語)大群の...
おびただしい数の金色の水仙
この句は、a crowd の具体的な言い換え。
when all at once I saw a host of golden daffodils,
よりも、いったん a crowd と言ったあと、a host of ... と続けた方がインパクトがあるような気がします。
大群を見たのだ、おびただしい数の金色に輝く水仙を。
岩波文庫のこの本には英文の解説はほとんど載っていないのですが、crowd と host には解説がありました。
host, multitude. この 'host' も 'crowd' と同じく、水仙が生きている感じを与える。
確かに many golden daffodils では味気ないような気がします。
次の句。
Beside the lake, beneath the trees
湖の岸辺、木々のした
Beside the lake, beneath the trees と、
頭韻を踏んでいます。
Flutttering and dancing in the breeze.
¶breeze/ブリーズ(名詞)そよ風。
そよ風に吹かれながらパタパタとひらめき、踊りながら。
flutter はもともと、「鳥が羽ばたきする,ちょんちょん飛び回る」という意味。比ゆ的に使われることが多いです。
ちょうどいい例文が「カレッジクラウン英和辞典」にありました。
The flags are fluttering in the breeze.
旗がそよ風にぱたぱたしている.
ワーズワースの詩でも fluttering と dancing を使うことによって、水仙が「生きている」感じを与えているのでしょう。
もう一度、ここまでの英文を。
I wander'd lonely as a cloud
That floats on high o'er vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host of golden daffodils,
Beside the lake, beneath the trees
Flutttering and dancing in the breeze.
韻が踏まれています。
雲のようにさまよい歩いていたら突然、目の前に現れた無数の黄金に輝く水仙。
菜の花でもそうですが、視界いっぱいに花が咲いていると、それだけで圧倒されますね。
二番目の節は原文と訳文だけを載せておきます。
Continuous as the stars that shine
And twinkle on the milky way,
They strech'd in never-ending line
Along the margin of a bay :
Ten tousand saw I at a glance
Tossing their heads in sprightly dance.【訳】
夜空にかかる天の川に浮かぶ
燦(きら)めく星の群れのように、水仙の花はきれめなく、
入江を縁どるかのように、はてしもなく、
蜿蜒(えんえん)と一本の線となって続いていた。
一目見ただけで、ゆうに一万本はあったと思う、
それが皆顔をあげ、嬉々として踊っていたのだ。
きれいに韻が踏まれています。
Continuous as the stars that shine
And twinkle on the milky way,
They strech'd in never-ending line
Along the margin of a bay :
Ten tousand saw I at a glance
Tossing their heads in sprightly dance.
ずらっと並ぶ水仙。さぞかし圧巻でしょう。
やっぱり、ここまできたら続きを全部。
The waves beside them danced, but they
Out-did the sparkling waves in glee : ―
A Poet could not but be gay
In such a jocund campany !
I gazed ― and gazed ― but little thought
What wealth the show to me had brought.【訳】
入江の小波(さざなみ)もそれに応じて踊っていたが、さすがの
燦めく小波でも、陽気さにかけては水仙には及ばなかった。
かくも歓喜に溢れた友だちに迎えられては、苟(いやしく)も
詩人たる者、陽気にならざるをえなかったのだ!
私は見た、眸(ひとみ)をこらして見た、だがこの情景がどれほど豊かな
恩恵を自分にもたらしたかは、その時には気づかなかった。For oft, when on my couch I lie
In vacant or in pensive wood,
They flash upon that imward eye
Which is the bliss of solitude;
And then my heart with pleasure fills
And dances with the daffodils.【訳】
というのは、その後、空しい思い、寂しい思いに
襲われて、私が長椅子に愁然として身を横たえているとき、
孤独の祝福であるわが内なる眼に、しばしば、
突然この時の情景が鮮やかに蘇るからだ。
そして、私の心はただひたすら歓喜にうち慄(ふる)え、
水仙の花の群れと一緒になって踊りだすからだ。
ずっと前にこの詩を読んだときは、全く感じるものはなかったのですが、水仙 Love になってから読んでみると、ちょびっと心に響きました。
ちょびっと。
またまた水仙、いろいろ。
今日、庭を見たらまた新しい種類の水仙が咲いていました。
母いわく、もっと色んな水仙が植えてある。
いったい水仙は何種類あるのでしょう?
ツツジ咲く。
咲いている花もありますが、つぼみを。
ツツジ、漢字で書くと 躑躅。
英語では、azalea [ アゼイリア ]。
満開になったら、語源などを取り上げてみたいと思います。
百合、にょきっと。
百合も地面から顔を出し始めました。
百合、英語で lily [ リリ ]
花が咲くまではまだまだのようです。
ところで・・・百合の花って・・・どんなんだったけ?
名もなき花、再び。
そのほかにも、いろんな花が咲いています。
名前は・・・?
三つは、リビングストンデイジー、っぽい名前、のはず。
ピッコロ大魔王、再び。
ひまわりの芽もだいぶ成長。
もう少しで、ピッコロの身長を超えそうです。
ピッコロも、うれしさに目を細めています。
!?
芽が出なかった激辛唐辛子。
まさか!?
ピッコロの足元のちっちゃな芽。
たんなる草なのか、念願の唐辛子なのか、ピッコロも迷っている様子。
我が悲願!!
唐辛子、懲りずにまた種を蒔きました。
「キムチ唐辛子」と「日光とうがらし」の種。
でもプランターなどには植えず、テキトーに庭にばらまきました。
これぞ、The 男蒔き。
はたして、何本の唐辛子が芽を出すか。
いでよ、神龍!我が庭を唐辛子ランドに!
l
花と英語 ネモフィラと小さな花たち、に続く。


コメント
from 深海魚
映画「クレアモントホテル」を見て、ワーズワースの黄色い水仙の原文を読みたいと思い参入しました。素晴らしい引用ありがとうございます。水仙を見たときは分からなかったが後になって分かったというくだりが、映画の場面とよく合っている、当たり前ですが、詩なので感動一入です。ありがとうございました。
2011年6月18日 11:22
from まさんた
深海魚さん、はじめまして。
僕は「クレアモントホテル」を観ていないので映画のことはわかりませんが、川辺などで水仙がたくさん咲いているのを見ると、春になったんだなぁ、と思います。
今年はもう水仙の時期は過ぎましたが、英国では日本でいうところの桜が水仙なのでしょうね。
ウェールズでは国章にもなっていますし。
「クレモントホテル」、観たくなりました。
2011年6月20日 23:07
from 深海魚
まさんたさま
4年も前の記事ですので、お返事いただけるとは思っていませんでした。
ちょうどこの記事がアップされた年の5月に、グラスミアへ観光で出かけて、お墓や博物館を訪れていました。空気が凛と澄んでいて、真冬のように寒かったですが、ウインダミア湖には水仙は咲いていませんでした。
「クレアモントホテル」是非ご覧ください。ロンドンでのお話ですが見慣れた景色は全然出てきません。唯一、話が終わってタイトルバックに対岸からビッグベンをえんえんと映している場面がありました。そこでなぜか不思議と感動して身動きできず涙があふれている自分がいました。
日本でも俳句で老人と青年が交歓出来ることありますが、
イギリスでは「詩」で、おばあさんと若者が気持ちを伝えあうことができるのですね。
今でも目を閉じると、幻の黄色い水仙の大群が浮かんできます。この記事に心から感謝しています。
2011年6月21日 20:59
from まさんた
深海魚さん、こんにちは。
思えば4年前の記事でしたか・・・。
時の経つのは早いです。
コメント頂いたのに気づかず、一日送れの返信になってしまい、こちらこそ申し訳ありません。
ウィキペディアの水仙の英語版、http://en.wikipedia.org/wiki/Narcissus_(plant)
に載っている “A field of daffodils in Cornwall, UK” の写真、圧巻。
日本でも川べりに水仙が群生していることがありますが、イギリスとはレベル違い。
僕は和歌や俳句が好きで、「となりの人(いわゆる妻)」に万葉集などについて酔いながら語ったりしています。
先日は、山上憶良の長歌、「瓜食はめば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲しぬはゆ いづくより 来たりしものそ 眼交(まなかひ)に もとな掛かりて 安眠やすいし寝なさぬ 銀しろかねも金くがねも玉も何せむにまされる宝子にしかめやも」について(自分は泥酔して覚えていませんが)クドクドと語ったようです。
現代語にすれば、「瓜を食べれば我が子が(どうしているのかなぁ)と思う。栗など食べたときなんぞ、まして・・・」と。
イギリスの ”春” は “日本の春” と比べると寒いですね。
今ごろが水仙が満開の季節かもしれません。
観光でイギリスに行ったことはことはないので、わかりませんが。
僕は春の到来を感じるのは桜ではなく、水仙。
見知らぬ人の庭に水仙が咲いていると、春なんだなぁ、と。
日本では、水仙の季節は終わってしまいまいしたけど。
2011年6月21日 23:36
from 深海魚
ウイキのご案内ありがとうございます。
早速検索して、コーンウオールの水仙の群生拝見しました。
圧倒的ですね。
日本の古典にもご造詣が深いようで、敬服しております。
当方は高校の古典で貧窮問答歌を習いましたが、安酒で塩をなめなめなどというしょぼくれたシーンには自分たちと余りにも似てるので共感を覚えられず、担当の教師が禿げていたせいもあり、失礼にもその方に「ナメタンキョウ」とあだ名をつける悪童たちでした。そらんじるなど思いもよりませんでした。
山上憶良ですが、70過ぎで「子」を思うは凄いというか・・・、孫ならよくわかりますけど、私などは子は敵とは言いませんが、まあ頑張ってくれよという薄情な親父です。
まさんたさまには、泥酔して、素直な感興をを語れる優しい奥様がいらっしゃる幸せな様子がよくうかがえます。
私も年を取るに従い素直になれるようになってきました。
水仙で春を感じられるとは新鮮ですね。
英国人の魂が乗り移っているのかしら。
私は桜も好きですが、春を感じるのは梅かな。
2011年6月22日 07:28
from まさんた
深海魚さん、こんにちは。
日本の和歌などの古典は、造詣など深くはありませんが、ただ好きなので。
和歌や俳句の “良し悪し” はわかりませんが “好きか嫌いか” は答えられる。
そこらへんが英詩との違いです。
英詩は最近のものでも英文解釈するので精一杯。
良し悪しなどわからず。
一方、古典といえど母国語は千数百年前のものでも読めば心に響くものあり。
和歌は技巧よりも素直な気持ちを歌うのが味わいがあると思っています。
山上憶良は嫌いではないですけど、歌のための歌、の感がありますね。
「従五位下」なる官位をもらいながら、『貧窮問答歌』はないでしょう・・・と思ったりします。
「瓜食はめば」は最近、NHK の幼児向け番組で使われていまして。
で、となりの人が「眼交(まなかひ)に もとな掛かりて」の意味がわからん、と反撃してきたので、「じゃあ、古語辞典を引け、引かぬなら、引いた俺が言う」という感じで語ったのだと思います。
話は変わりますが。
我が家にも梅の木があり、おそらく三月に満開に咲き乱れます。
で。毎年毎年、「これ桜?」と僕が聞くと、「梅!桜を個人宅に植えるのは・・・」なる会話の繰り返し。
我が家の梅はピンクなので見分けられず。
2011年6月22日 23:14
from 深海魚
「うりはめば」をゆうどきねっと?でご覧になったそうですが、お孫さんがいらっしゃるのでしょうか。
あの番組、すごく難しい言葉遊びをしていますね。
わたくしにも良く分かりません。となりの人、いい表現ですね、に聞かれたら困ります。
梅か桜かと仲むつまじいご夫婦ですね。
我が家も狭い庭ですがブンゴウメとやら桜色の梅が咲きます。
サクラソウがはびこっているそうですが、こちらはクリスマスローズがまだはびこっていっぱい咲いてます。サンタクロースもびっくりでしょう。
私は園芸は苦手で、となりの人の趣味です。
はなばなの語源も面白く拝読しました。
水仙の発音は「ナーすぃサス」と真中にアクセントがあったのですね。高校時代の尊敬する先生が「なあシサス」と発音していたので、ナルシシズムの方はアタマにアクセントがあるので誤解されていたのでしょう、いままで間違えて記憶していました。もう治りません。(笑)
2011年6月24日 08:30
from まさんた
深海魚さん、こんにちは。
コメントを頂いた日に返信しましたが、自分自身のコメントを公開するのを忘れていました。
返信遅れまして申し訳ありません。
以下、返信。
おそらく、孫ができるのは早くても20年後です。
上の子、3歳、下の子、1歳ですので。
「うりはめば」は NHK の子供(幼児?)向け番組、「にほんごであそぼ」で浪曲師の “うなりやベベン” さん(正式には “国本武春さん”、本名 “加藤武さん”)が歌っています。たまに。
で、となりの人が「だいたいの意味はわかるけど、“もとなかかりて” ってどんな意味?」と聞いてきたので、「辞書を引けばわかることを聞かないでくれ」と。
最近、「レーム・ダック」という言葉が使われてますね。
政治家がヨコモジ(カニモジ)を使っているのを聞くと不愉快この上ないですが。
それはともかく、案の定、となりの人と父母連合艦隊が、「どういう意味?」と攻撃。
「辞書があるのはなんのため?」と英和辞書を渡す。
が、レームの「レ」は R? L? と再質問されまして。
「どっちかなんだから、調べてみれば」と答えましたが、質問の連続にたまりかね、「L・A・M・E だよ!」と、結果、叫ぶことに。
「コンセンサスが得られれば・・・」などはよく聞きますね。
カニモジ使えば言葉としてランクが上がるのでしょうか。
日本語を使えばいいのに、と思う次第です。
2011年6月27日 22:37