英訳『源氏物語』

少しずつ秋らしくなってきました。
毎年、秋になると源氏物語を読むことにしています。

そこで、今回は源氏物語の原文(つまり古文)と英訳の見比べをしてみたいと思います。

源氏物語には有名な英訳があります。
エドワード・G・サイデンステッカー ( Edward G. Seidensticker ) の「The Tale of Genji」
白黒とはいえ挿絵のたくさん入った本です。
当然、挿絵に出て来る人物は男女問わず、 ”しもぶくれ顔 ” です。

原文、つまり古文の原文は一番手に入れやすい岩波文庫版を基にしました。
古文の訳は自分で訳しましたが、かなり説明を加え、直訳的にしました。

原文と英訳

まずは有名な出だしの古文。

いづれの御時にか、女御・更衣、あまたさぶらひ給いけるなかに、いと、やむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふ、ありけり。

【訳】いつの御代(みよ)のことでしたか、宮廷には女御(にょうご)や更衣(こうい)といった方々がたくさんお仕えしておりました。その中で、それほど身分は高くはありませんが帝(みかど)のご寵愛を一身に受けていらっしゃる方がおりました。

光源氏の母、桐壺(きりつぼ)のことです。
桐壺のその後を思うと、出だしだけで泣けてきます。
が、泣く前に、この部分の英訳。

In a certain reign there was a lady not of the first rank whom the emperor loved more than any of the others.

¶reign/イン(名詞)統治,支配,治世。

「女御、更衣あまた・・・」をいちいち訳さず any of the others と一括しています。
確かに女御や更衣を英語で説明すると、くどくなってしまうでしょう。

ちなみに、平安時代の女性の地位ランキングを偉い順に並べれば、

皇后 ― 中宮 ― 女御 ― 更衣

となります。

平安時代にはもう天皇家は実権を握っていませんでした。
実際の権力者は藤原氏で、娘を天皇のお嫁にあげ、皇太子を産ませることによって実権を握るのです。

『源氏物語』に戻ると、帝(みかど)は真の実力者である右大臣の娘、弘徽殿(こきでん)の女御との間に第一子をもうけています。
それをさしおいて、それほど身分の高くない女性への溺愛は帝自身にとっても危険なことでした。

桐壺は大納言であった父を亡くし、今ではしっかりとした後見人がおりません。
それなのに帝の寵愛を独り占めしているのですから、当然、他の女御や更衣にイジメられます。

はじめより、われはと思ひあがり給へる御かたがた、めざましき者に、おとしめ嫉(そね)み給ふ。おなじ程、それより下﨟(げらふ)の更衣たちは、まして、安からず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふつもりにやありけむ、いと、あつしくなりゆき、物心細げに里がちなるを、いよいよ、「あかずあはれなるもの」に、思(おぼ)ほして、人の謗(そし)りをも、え憚(はばか)らせ給はず、世の例(ためし)にもなりぬべき、御もてなしなり。

【訳】宮廷に入った初めから「自分こそは」と 思い上がっていた方々は、桐壺が腹立たしく、この身の程知らずめ、と軽蔑したり嫉妬したりしております。桐壺と身分が同じか、より低い地位の更衣たちにとっては、まして心穏やかではありません。
朝夕の宮仕えでも、桐壺は他の妃たちの心をかき乱し、恨みを負うことが積もりに積もっていきました。それが原因でしょうか、桐壺はだんだん病がちになってしまいました。
心細そうで里帰りが多くなってゆく桐壺のご様子を見ると、帝は桐壺への愛(いと)しさがますます募り、人の非難など一切気にかけず、後の世の語り草にでもなってしまいそうな慈(いつく)しみぶりでございました。

ここの英訳。

The grand ladies with high ambitions thought her a presumptuous upstart, and lesser ladies were still more resentful. Everything she did offended someone. Probably aware of what was happening, she fell seriously ill and came to spend more time at home than at court. The emperor’s pity and affection quite passed bounds. No longer caring what his ladies and courtiers might say, he behaved as if intent upon stirring gossip.

一文目から見ると、

The grand ladies
【訳】思い上がった妃たち

with high ambitions
【訳】大いなる野望を持った

grand は基本的に「偉大な,威厳のある,気品のある」というプラスの意味ですが、ここでは「(偉いから) 威張った,うぬぼれた」というマイナスの意味でしょう。

[参照] ジーニアス英和大辞典の例文
She is too grand to join us.
彼女は気位が高くて私たちの仲間に加わろうとしない.

大いなる野望を持った(with high ambitions)とは、いずれ自分が帝と結婚し、子を生み皇后になる、という野望。

そういう野望を持った妃たちは、

thought her presumptuous upstart
【訳】彼女(桐壺)を許せないほどの成り上がり者だと考えた。

¶presumptuous/プレムプチュアス(形容詞)許される程度を超えたほどの。¶upstart/プスタート(名詞)(横柄な)成り上がり者。

前にも述べましたが、女性の出世は一にも二にも、しっかりとした権力者の後ろ盾でした。
桐壺には後見人がおりません。
まして桐壺は見目麗しく、しとやかな女性です。

桐壺、許すまじ!となるのは当然です。

and lesser ladies were still more resentful.
【訳】そしてより身分の低い妃たちはもっと憤慨していた。

¶resentful/リントゥフル(形容詞)憤慨した。

人間の本性は嫉妬のかたまりです。
たぶん。

次の文。

Everything she did
【訳】彼女(桐壺)が何をしても

offended someone.
【訳】誰かの感情を害した。

¶offend/オフェンド(動詞)感情を害する。

誰かが気に入らなくなると、その人が何をしても気に食わなくなることがあります。
クシャミをしただけで頭にくる。
笑い方も気に入らない、歩き方も気に食わない、しゃべり方なんてもう・・・

さて次の文。

Probably aware of what was happening,
【訳】おそらく何が起こっているのかに気づいており、

she fell seriously ill
【訳】彼女(桐壺)は重病になってしまい

and came to spend more time at home
【訳】そして、より多く実家で過ごすようになった

than at court.
【訳】宮廷よりも。

¶court/ート(名詞)宮廷。

そんな桐壺の様子が気になる帝。

The emperor’s pity and affection
【訳】帝の同情と愛情は

quite passed bounds.
【訳】すっかり限度を超えていた。

どれほどの限度越えかというと、

No longer caring
【訳】今や全く気にせず

what his ladies and courtiers might say,
【訳】妃たちや廷臣たちが何を言おうと、

he behaved
【訳】帝は振る舞った

as if intent upon stirring gossip.
【訳】まるでわざと陰口を叩かれようとしているかのように。

¶courtier/ーティア(名詞)廷臣。¶intent upon …ing (熟語)…することに熱中する。¶stir/スター(動詞)かりたてる。

細かく見ると、原文(つまり古語の『源氏物語』)と英訳では違うところがあります。
たとえば、

恨みを負ふつもりにやありけむ、
【訳】恨みを負うことが積もりに積もったせいでしょうか、

のところが英訳では、

Probably aware of what was happening,
【訳】おそらく(自分の周りで)何が起こっているのかに気づいており、

となっています。
すでに「成り上がり者め」とか「憤慨していた」とあるので更に「恨みを…」とすると くどくなるからでしょうか。

光源氏の誕生

その後、帝と桐壺の間に男の子、つまり光源氏が生まれます。

前(さき)の世にも、御契りや深かりけむ、世になく清らなる、玉の男御子(をのこみこ)さへ、うまれ給ひぬ。

【訳】前世からのご縁がよほど深かったのでしょうか、世にもまれなほどお美しい、玉のような男の御子がお生まれになりました。

【英訳】It may have been because of a bond in a former life that she bore the emperor a beautiful son, a jewel beyond compare.

英訳しづらいと思われる部分をみると、

古文英訳
御契り
(前世からの契り)
a bond in a former life
世になく清らなる、玉の男御子
(美しく、玉のような男の子)
※日本語の「玉」は宝石のことです。
a beautiful son, a jewel beyond compare

案外、直訳でいいのだと分かります。

お別れ

それほど愛し合っているお二人ですが、ついに桐壺に死期が迫りました。

宮廷では死を忌み嫌います。
桐壺は実家へ帰らなければなりません。
お互い、この世でのお別れなのは分かっていました。

別れの場面。

限りあらむ道にも、遅れ先だたじと、契らせ給ひけるを、さりとも、打ち捨てては、え行(ゆ)きやらじと、のたまはするを、女も、いといみじと、見たてまつりて、

限りとて別(わか)るゝ道の悲しきにいかまほしきは命なりけり

いと、かく思う給へましかばと、息も絶えつゝ、聞こえまほしげなる事はありげなれど、いと苦しげに、 (以下略)

【訳】「死出の旅路さえも二人で一緒に、と誓ったものを、まさか私を捨てて去ってしまうことなんてないでしょうに」と帝がおっしゃられると、桐壺も切なさが募り、帝を見つめ上げ、

お会いするのもこれで最後
わたしは死へと旅立ちます
あなたと別れる死出の道の悲しさ
行きたいのはあなたと共に生きる
命の道でございますのに

「こうなることが前から分かっておりましたら」
と桐壺は息も絶え絶えに、もっとお伝えしたいことがある様子でしたが、あまりの苦しさに…

【英訳】”We vowed that we would go together down the road we all must go. You must not leave me behind.”
She looked sadly up at him. “If I had suspected that it would be so―” She was gasping for breath.

“I leave you, to go the road we all must go.
The road I would choose, if only I could, is the other.”

帝がおっしゃる、

限りあらむ道にも、遅れ先だたじと、契らせ給ひけるを、さりとも、打ち捨てては、え行(ゆ)きやらじ

【訳】死出の旅路さえも二人一緒にと誓ったものを、まさか私を捨てて去ってしまうことなんてないでしょうに

という日本的な台詞をサイデンステッカーは、

“We vowed that we would go together down the road we all must go. You must not leave me behind.”

と訳しています。
「限りある道」とは要するに「死」の遠回しな言い方ですが、the road we all must go.(誰もが通らなければならない道)となっています。

それから英訳で目に付くのは文の順番を入れ替えているところ。

なぜに入れ替え?

桐壺の歌を太字で、英訳で順番を入れ替えているところを赤字にすると、

限りあらむ道にも、遅れ先だたじと、契らせ給ひけるを、さりとも、打ち捨てては、え行(ゆ)きやらじと、のたまはするを、女も、いといみじと、見たてまつりて、

限りとて別るゝ道の悲しきにいかまほしきは命なりけり

いと、かく思う給へましかばと、息も絶えつゝ、聞こえまほしげなる事はありげなれど、いと苦しげに、 (以下略)

【訳】「死出の旅路さえも二人一緒にと誓ったものを、まさか私を捨てて去ってしまうことなんてないでしょうに」と帝がおっしゃられると、桐壺も切なさが募り、帝を見つめ上げ、

お会いするのもこれで最後
わたしは死へと旅立ちます
あなたと別れる死出の道の悲しさ
行きたいのはあなたと共に生きる
命の道でございますのに

「こうなることが前から分かっておりましたら」と息も絶え絶えに、もっとお伝えしたいことがある様子でしたが、あまりの苦しさに…

【英訳】“We vowed that we would go together down the road we all must go. You must not leave me behind.”
She looked sadly up at him. “If I had suspected that it would be so―” She was gasping for breath.

“I leave you, to go the road we all must go.
The road I would choose, if only I could, is the other.”

赤字の部分が英訳では歌の前に置かれています。

なぜでしょうか?

“If I had suspected that it would be so―” She was gasping for breath.
【訳】「こうなることが前から分かっておりましたら・・・」桐壺は息が苦しくてあえいでいる。

を歌の前に入れたほうが歌に感情が出るからでしょうか?
よくわかりません。

お別れの歌

さて、その桐壺の別れの歌。

限りとて別るゝ道の悲しきにいかまほしきは命なりけり

「限り」とは、「限り = (自分に迫った)死期」という意味と、「限り = (お会いできるのが)最後」という二つの意味が込められています。

私の死期が近づきました。お会いできるのもこれで最後です。

「いかまほし」は「行く」と「生く = 生きる」が掛かっています。
※まほし = ~したい

「命なりけり」の「なりけり」は「~でございますのに」

桐壺の悲哀の歌、

限りとて別るゝ道の悲しきにいかまほしきは命なりけり

この歌を回りくどく下手な訳ですが、この歌を訳せば、

お会いするのもこれで最後
わたしは死へと旅立ちます
あなたと別れる死出の道の悲しさ
行きたいのはあなたと共に生きる
命の道でございますのに

「命なりけり」という直接的な言葉により、死による別れの悲しさが痛烈に響きます。

この歌の英訳を見ると、

“I leave you, to go the road we all must go.
The road I would choose, if only I could, is the other.

直訳すれば、

わたしは貴方のもとを去り、誰もが通らねばならぬ道へと行きます。 叶うなら、わたしが選ぶ道は、逆の道なのに。

今も昔も、王道は 禁断の愛 か。やっぱり。

桐壺の死は物語のほんの序曲です。

この後、悲痛に暮れる帝の前に、まるで桐壺と生き写しの女性、藤壺が現れます。
帝は藤壺への愛におぼれていきますが、光源氏は藤壺に「永遠の人」を見出す。

あってはならぬ愛、青臭いが、今も昔も恋愛モノの王道なのでしょう・・・
たぶん。

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